トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 遺跡トピックスNo.0544金生遺跡〔北杜市〕土製耳飾りが意味するもの
ページID:118282更新日:2024年12月2日
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現在の整備された金生遺跡
金生遺跡は八ヶ岳南麓に位置し、両側を谷地形に挟まれた尾根上(標高770m付近)に立地しています。大規模な配石遺構を伴う縄文時代後期・晩期の集落跡という価値が評価され、遺跡の一部が1983年(昭和58年)に国指定の史跡に指定されました。また、出土品も資料的な価値が高いため、平成30年に日本遺産構成文化財(日本遺産「星降る中部高地の縄文世界」)に認定されました。
遺跡名:金生遺跡(きんせいいせき)
所在地:北杜市大泉町谷戸字金生
時代:縄文時代前期~晩期、平安時代、中世
報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第39集 1988(昭和63)年
山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第41集 1989(平成元)年
調査機関:山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター
○金生遺跡の遺跡トピックス No.0018、No.0142、No.0271、No.0323
土製耳飾り
すでにトピックスNo.0142でご紹介したとおり、耳飾りをつけている土偶があることから、土製耳飾りは耳たぶに装着した装飾品と考えられます。
耳飾りをした土偶
耳に孔のあいた土偶 耳飾りを外した表現をしたと思われる
金生遺跡では縄文時代後期や晩期(今から約3,500~2,600年前)の耳飾りが小さな破片も含めて560点出土し、大きさが径1cm以下の小形のものや8cmを超す大形のものがあります。
金生遺跡ではなぜ多様な大きさの耳飾りが発見されるのでしょうか。
耳飾りは現代のピアスとは異なり、耳たぶに直接入れて装着するため、耳たぶに土製耳飾りが入るサイズの穴をあける必要があります。いきなり大きいものは入らないので、耳飾りを徐々に大きくしていき、穴を広げていったと考えられています。
土製耳飾りには、いくつかの大きさのまとまりがあることから、段階的に大きなものを装着するように変化した可能性があります。これは単に少しずつ大きなものにかえていったというのではなく、通過儀礼を経ながら縄文人のライフステージごとに大きくしていったことを表しているのかもしれません。
縄文人と同じような狩猟採集民の社会の中には、成人になると5~6年ごとの年齢組に分けるという事例が報告されています。彼らの通過儀礼には、今の私たちでも想像できる成人や結婚の他に年齢組が上がるタイミングなどもあったのかもしれません。耳飾りは単なる装飾品ではなく、そういう多様なライフステージを表したものと考えられます。
また、金生遺跡のように土製耳飾りが400点以上出土した遺跡は、土製耳飾りを多量に保有した遺跡と評価されます。縄文時代後期から晩期まで継続する配石遺構を持つ金生集落は、社会的な秩序を維持するために土製耳飾りを用いたのかもしれません。
第1号配石(石棺状遺構)土製耳飾り出土のようす
※本ページ掲載の写真(遺物)は、北杜市教育委員会所蔵、山梨県立考古博物館に展示されているものです。
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