ページID:4704更新日:2018年3月13日
ここから本文です。
山梨県における近代砂防の歴史は古く、明治初期から県により砂防工事が行われていた。明治40年の大災害以降、県内各地で国(内務省)直轄の砂防工事が行われるようになり、大正時代にかけて当時の最先端の工法によって施設が作られた。現存しているこれら砂防施設は、先人の苦労を現代に伝えるとともに、年を経て趣のある景観を形作っているが、近年の国土開発、都市計画の進展,生活様式の変化等により,社会的評価を受けるまもなく消滅の危機に晒(さら)されている。
そこで、文化庁では、近代の文化財建造物を後世に幅広く継承していくため、緩やかな保護措置を行う登録文化財制度を創設しており、これまでに山梨県の砂防施設では、「勝沼堰堤」「芦安堰堤」「屋敷入沢第七号石堰堤」の3件が指定されている。一方、社団法人土木学会では、全国に多数ある近代土木遺産のうち特に重要なものを、今後も良好な保存状態を維持すれば、将来国の重要文化財として指定される可能性がある国家財産として位置づけ、「選奨土木遺産」として認定している。
平成9年5月7日登録 登録番号第19-0005号
石積コンクリート目地止堰堤(延長38.5m),岩盤切削流路(延長45.5m)
勝沼堰堤は、大正4年から大正6年にかけ、内務省直轄砂防事業として、山梨県甲州市勝沼町岩崎地先に設置されたものである。
本堰堤は、日本で最初にコンクリートを使用して築造された芦安砂防堰堤の工事前年に、一部基礎にコンクリートを利用して築造されており、本堰堤の施工実績により、芦安堰堤にコンクリートが採用されたものであり、このような経緯から、平成9年5月、登録文化財となった。
平成9年9月3日登録 登録番号第19-0017号
下段重力式・上段アーチ式堰堤,堤高22.6m,堤長66.6m
芦安堰堤は、大正5年~大正15年に、内務省直轄砂防事業として、山梨県南アルプス市芦安字芦倉地先(御勅使川富士川合流点から上流12.2km地点)に設置されたものである。
本堰堤は日本で最初にコンクリートを使用して築造された砂防堰堤であり、大正7年に竣工した重力式堰堤の上に、アーチ式堰堤を嵩上げ設置した構造である。これにより堤高は当初の11.5mから22.6mとなり、大正15年の竣工当時では最も高い砂防堰堤であった。
平成21年8月7日登録 登録番号19-0061号
石造堰堤、堤長66m、堤高6.4m、導水石垣及び水叩付
屋敷入沢第七号石堰堤は、明治43年~大正7年に、内務省補助砂防事業として、山梨県笛吹市御坂町地先に設置されたものである。
本堰堤の石積の積み方を観察すると、谷積で施工されており、当時の技術力の高さを見せつけられる。
平成15年11月14日認定
芦安堰堤:H=22.68m,L=66.60m大正7年竣工
源堰堤 :H= 7.00m,L=109.1m大正9年竣工
藤尾堰堤:H=13.00m,L=27.40m大正11年竣工
左から「芦安堰堤」、「源堰堤」、「藤尾堰堤」
文化財などの指定機関