ページID:4697更新日:2019年1月30日
ここから本文です。
芦安堰堤は、大正5年~大正15年に、内務省直轄砂防事業として、山梨県南アルプス市芦安字芦倉地先(御勅使川富士川合流点から上流12.2km地点)に設置されたものである。
本堰堤は日本で最初にコンクリートを使用して築造された砂防堰堤であり、大正7年に竣工した重力式堰堤の上に、アーチ式堰堤を嵩上げ設置した構造である。これにより堤高は当初の11.5mから22.6mとなり、大正15年の竣工当時では最も高い砂防堰堤であった。
我が国の砂防技術の転換期に、新工法により施工されたことなどから、文化資料的価値が高いとされ、平成9年9月16日、登録有形文化財として指定された。(指定番号 第19-0017号)
大正5年の本堰堤着手にあたり、芦安工場では流域の砂防施設の調査を行っている。「富士川流域御勅使川筋砂防工事報告」(御勅使川工場)によると、堰堤78基(完全31、小破14、大破33)、護岸35箇所(完全15、小破11、大破9)を確認しているが、現在はほとんどの姿を見ることができない。
御勅使川においては上記のように空石積の砂防施設が多く設置されていたが、工事再開にあたり、「既設の空石積み施設はほとんどが破壊・流失しており、永久に信頼できるものではない。」ことが問題となった。このことから、御勅使川流域ではより強固な砂防施設が必要とされ、日本初のコンクリートを用いた砂防堰堤が計画されたと考えられる。
当時は、セメントが普及し土木工事にもコンクリートが使用され始めた時代であり、「日本砂防史」によれば、本工事に先立ち日川の砂防工事で堤体の一部にモルタルコンクリートが用いられており、この実績も考慮されたと思われる。 大正7年に竣工した芦安堰堤(重力式)は、その年の夏季の出水によりほぼ満砂となり、堆砂勾配も計画のそれに達したため、貯砂能力はこれが限度と判断された。
ここで、本堰堤施工位置は、支持地盤が強固で堤体の安定に問題がない、地形的条件が良く、嵩上げによって施設効果量が大幅に増大する、点からアーチ式堰堤の嵩上げ工事を施工することとなった。
この構造は図に示すように、既設重力式堰堤を袖天端まで嵩上げし、その上にアーチ式堰堤を設置するもので、アーチ式の基礎部が既設堰堤からはずれる部分については鉄筋を縦横に配置して安全を図るものであった。