ページID:4698更新日:2019年1月30日
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本県における水害の歴史は古く、「日本武尊が東征の折りに水害に襲われた」と伝えられているのをはじめ、戦国時代には、武田信玄が、甲府盆地の治水工事を行って内政の充実を行ったことは有名である。
武田信玄は、天文10年(1541年)、21才の時に甲斐の国主となったが、その翌年には御勅使川が氾濫して甲府盆地が一面の河原と化した。これを目の当たりとし、治水事業の必要性を感じ、信玄堤を始め将棋頭や石積出し等の治水工事を行い、内政の充実を図った。これらの工法は、我が国における河川、砂防工学の祖といわれ「甲州流河防法」と呼ばれている。
(図:武田信玄の御勅使川治水工事の概念図)
明治14年 |
9月、特に釜無川流域、塩川が氾濫。全国に先駆け、山梨県単独事業費で、市之瀬川(南アルプス市)に砂防工事を施行(JPG:61KB) |
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明治16年 |
6月、内務省雇工師ムルドルが、笛吹川・釜無川・富士川の3河川及び支川状況を視察し、砂防工事実施の意見書を提出。これを受けて小武川、御勅使川(みだいがわ)、大柳川、早川で国直轄砂防事業に着手 |
明治30年 |
「砂防法」制定 |
明治34年 |
大柳川ほか7河川で、国庫補助事業による砂防工事を施行 |
8月の台風により県下全域で河川が氾濫 |
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明治43年 |
連日の豪雨により県下全域で洪水発生 |
大正 4年 |
勝沼堰堤(平成9年登録文化財・日川)に着手 |
大正 5年 |
芦安堰堤(平成9年登録文化財・御勅使川)に着手 |
大正11年 |
4月、県令第7号をもって「砂防取締規則」を制定 |
大正13年 |
前年の関東大震災により荒廃した、多摩川、桂川、笹子川、道志川で直轄工事着手 |
昭和12年 |
地すべり対策事業費が明確に予算計上される |
昭和27年 |
国庫補助地すべり対策事業が始まり、西沢地区地すべりの対策工事着手 |
昭和33年 |
「地すべり等防止法」制定 |
昭和34年 |
8月、台風7号による大災害。 |
昭和35年 |
建設省富士川砂防工事事務所設置 |
昭和36年 |
11月、災害対策基本法制定 |
昭和37年 |
4月、建設省に「砂防部」設置 |
昭和41年 |
9月、台風26号による大災害が発生 |
昭和42年 |
急傾斜地崩壊対策事業を開始 |
昭和44年 |
「急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律」制定 |
昭和48年 |
「がけ崩れ防災週間」実施 |
昭和57年 |
8月、台風10号により、大月市浅川地区(JPG:24KB)、秋山村無生野地区で土石流が発生。 |
昭和58年 |
8月、台風5号、6号が襲来し、富士北麓一帯局地的な豪雨に見舞われる。 |
平成 3年 |
9月、台風18号が襲来。 |
平成 8年 |
砂防法制定100年 |
平成12年 |
「土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律」 |