トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス No.0081 身洗沢遺跡と油田遺跡
ページID:4512更新日:2017年5月30日
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シリーズ「山梨で発掘された昔の田んぼ」その3身洗沢遺跡山梨県で始めて発見された弥生時代の田んぼ「身洗沢遺跡」
所在地笛吹市八代町(当時は東八代郡八代町) 時代弥生時代から古墳時代 報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第55集1990年3月刊行 調査機関山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター 調査実施平成元年
写真左)田んぼの発掘調査風景 写真右)田んぼの床面(とこめん)に残された人と動物の足跡 何ができたんですか?調査終了後には、県道石橋・石和線ができました。 何が見つかったの?弥生時代から古墳時代にかけての田んぼと集落跡が見つかりました。そして、田の床面から足跡が、湿地の谷部から農具などの木製品も見つかりました。 みつかった足の大きさはどれくらい?足の大きさは22cm前後のものが多く、ちいさいもので16cmでした。踏み込んだ足跡の深さは、3~6cmくらいで、歩幅はおおよそ30~40cmでした。その他動物の足跡が見つかりましたが、牛かどうかはっきりしません。 写真左)木製のくわ(未成品) 写真右)木製の又くわ(四本歯ですが、作業中に1本欠けてしまったのでしょうか?) 木製農耕具は、どうして残っていたの?いつ頃のものなの?木製品が残っていたということは、この場所がじめじめしていたということで、湿地だったんですね。木は、水につかっている状態であれば腐らず長く保存されますが、乾燥している場所では、あまり残りません。これらの木製品は弥生時代後期頃のものと考えられています。写真の木製農耕具は、平成8年11月7日に県の有形文化財に指定されました。 田んぼが作られていた時代はいつ?発掘調査の結果から、弥生時代後期から古墳時代前期(今から1700年前後)にかけてつくられた田んぼとわかりました。 シリーズ「山梨で発掘された昔の田んぼ」その4油田遺跡平安時代の田んぼの跡を調査した「油田(あぶらだ)遺跡」
所在地南アルプス市(当時は中巨摩郡甲西町)田島地内 時代平安時代の田んぼ 報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第130集1997年3月刊行 調査機関山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター 写真左)調査区の第1面で見つかった平安時代の田んぼの跡 写真右)床面では、足跡も見つかっています。 いつ調査したの?調査は、平成4年9月14日から12月28日(第1次)までと、平成5年5月11日から12月17日(第2次)まで行いました。 何ができたんですか?甲西バイパスと中部横断自動車道ができました。 何が見つかったの?第1面からは、平安時代の田んぼの跡が10枚見つかりました。でも、調査範囲が狭く、洪水にあったため完全な形で見つかったのは1枚だけでした。床面には、足跡などの窪みが見つかりましたが、状態が悪いため、歩いた状況をつかむことはできませんでした。見つかった田んぼの形は長方形です。写真右の中央の田んぼの大きさは、50平方メートル前後でした。 ほかに何が見つかったの?弥生時代から平安時代までの土器や石器、銭貨、そして竪杵などが見つかりました。 竪杵(たてきね)ってなーに?杵の一種で、棒状の両端を使って縦につくものです。皆さんもご存じのとおり、静岡県「登呂(とろ)遺跡」や奈良県「唐古(からこ)遺跡」でも見つかっています。 写真)竪杵の出土状況写真です。 今の杵と形が違うけど?今の杵で思いつくのが、お餅をつくときの杵ですが、形が全然違っていますね。それはね、今の杵は餅米をつぶすための道具ですが、この竪杵はお米のまわりにあるからをとるための道具に使われたと考えられています。お米をつぶす道具と、からをとる道具とでは、使い方が違うだけでなく形も違っていたんですね。 ちなみに、この杵の大きさですが、最大の長さは78.5cm、一番広い幅は7.2cmあります。そして、この木製品の表面は、鉄製の工具で削られた跡が見られます。 どこかでみた気が?そーです、見てますよ。教科書などに銅鐸(どうたく)がのせてあったりしています。よく見ると三角形の体をした人が、棒を持って臼(うす)をついている絵があります。
その棒が竪杵(たてきね)で、お米のかわをとっている作業なんですね。 数回にわたって掲載しました、シリーズ「山梨で発掘調査された昔の田んぼ」は、今回をもって終了させていただきます。
なお、埋蔵文化財センターによって発掘調査された田んぼの遺跡は、以上の外に「二本柳遺跡(古代末~近世)第183集2000年3月刊行」、「大師東丹保遺跡1区(弥生時代・鎌倉時代)第131集1997年3月刊行・4区(鎌倉時代)第133集1997年3月刊行」、「宮沢中村遺跡(平安~鎌倉時代頃)第181集2000年3月刊行」があります。
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