トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0102平林2号墳
ページID:4505更新日:2017年5月30日
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甲府市から笛吹市にかけての甲府盆地北縁部には多くの6世紀から8世紀初頭にかけての古墳が多く分布しています。これらは大きく3つのグループに分かれており、東より春日居古墳群、大蔵経寺山(だいぞうきょうじやま)古墳群、横根・桜井古墳群と呼ばれています。平林2号墳は、この中の41基からなる春日居古墳群に属しています。発掘調査は西関東連絡道建設に伴って平成10(1998)年度に実施され、6世紀後半から8世紀初頭までの副葬品が数多く発見され注目を浴びました。 ガラス製の玉類は丸玉・小玉のほかに丸い斑文がトンボの複眼に似ていることから蜻蛉(とんぼ)玉と呼ばれているガラス玉も出土しています。
所在地:笛吹市春日居町鎮目 時代:古墳時代後期~終末期 報告書:山梨県埋蔵文化財センター報告書第175集2000年(平成12年)刊 山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター
これまでの平林2号墳遺跡トピックス 写真調査前の様子 写真上空からの様子 出土した玉類写真丸玉出土状況
約8.6mの長さの石室の中央奥側より丸玉などの大半が見つかりました。しかし、3mmほどの小玉などは石室内の土をすべて水で洗う根気のいる作業でひとつひとつ取り上げていきました。その結果、ガラス製の玉類は丸玉(121点)・小玉(200点)・蜻蛉(とんぼ)玉(3点)にものぼりました。これらのガラス玉は埋葬された貴人のブレスレットやネックレスとして副葬されたものでしょう。 ガラス玉の製作写真左:丸玉直径約0.7~1.4cm 右:小玉直径約0.2~0.3cm 写真下段右側3点が蜻蛉(とんぼ)玉直径約1.2cm
日本にガラスが伝えられたのは弥生時代(2,300~1,750年前)で中国の漢の国からだと考えられています。これは、北九州地方の弥生時代の多くの遺跡からガラス製の玉類が出土していることからも良く分かります。有名なものとしては佐賀県吉野ヶ里遺跡の甕棺からも多数のガラス製の管玉が発見されています。 古墳時代(1,750~1,300年前)になると技術も向上し、それまでの青や緑系の色に加えて紺色や黄色などと色のバリエーションも多くなってきます。 また、製作方法は現在のところ3つ考えられています。ひとつは鋳型(いがた)を使う方法です。粘土板などに半球形の凹みを作り、その中央に針金を差すなどして穴の部分を確保し溶けたガラスを流し込み形を作る方法です。二つめは、「巻き玉」と呼ばれる方法です。溶けたガラスを細めの金属棒を回転させながら、巻き付けていくもので比較的大きな玉や蜻蛉玉も作ることができます。続いて「巻き玉」などによって作ったガラス管を細く伸ばして輪切りにした後に熱を加え角を取るというものです。 平林2号墳から出土した丸玉は「巻き玉」技法で、小玉はガラス管を輪切りにする技法で作られたものと考えられます。ガラス玉を作った人達の技術には驚かせられるものがあります。
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