トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo129 甲府城跡(追手門跡)
ページID:4572更新日:2017年6月13日
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県指定史跡甲府城跡一覧
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甲府城跡道路の下から追手門跡!追手門はどこにあったの?
甲府城下町図
都市計画図と明治期の城郭図合成図 甲府城跡の追手門(おうてもん)は、県庁東門付近にありました。ちょっと江戸時代にタイムスリップしたと思って回想してみましょう。南側が当時の正面玄関にあたり、ここから登城する際に入って行ったと仮定します。現在のスクランブル交差点付近に内堀が東西方向に巡ります。現在の県道を北に向かって行くと太鼓橋があり、門に向かって石畳が続き、西側の県庁側には石垣が広がる光景があったと思われます。しばらく進むと追手門があり、門を入ると枡形(ますがた)があって正面には石垣と番所がありました。そして左に曲がって県庁東門付近の渡櫓門(わたりやぐらもん)を抜けると城内です。 道路の下から追手門跡を発見今年度、県指定史跡甲府城跡と県庁の間を通る主要地方道甲府・山梨線において、水道管の敷設替えがありました。掘削範囲は70cm幅で狭いものでしたが、工事する場所には江戸時代の絵図に楽屋曲輪の番所、追手門、堀の存在が想定される部分でしたので、立会調査を行うこととなりました。
城郭図と調査で実際に確認された遺構位置 県庁東門北側付近から枡形虎口(ますがたこぐち)北側の南石垣の一部が発見されました。栗石が2.50mの幅で認められ、幅65cm、奥行き45cmを図る根石と想定されるものである。道路敷下90cm付近で認められました。 発見された石垣の一部 県庁東門南側の追手門付近から礎石が二基発見されました。一石目と二石目では間隔があいていたので、原位置を留めていない可能性があります。ホゾ穴15×18cm、水抜き溝8cmを伴い、面取り部分46×39cm、厚さ43cm、推定材径28×36cmの長方形の角材の痕跡が認められました。時期は不明です。 発見時の礎石発見時の板石 追手門付近から堀に至る間では、敷石と考えられる板石が5点発見されました。二寸幅の矢穴痕から寛文~宝永年間の江戸期の所産と考えられます。 またスクランブル交差点付近からは、堀の石垣と護岸杭も発見されました。 堀跡石垣栗石護岸杭石垣天端石 まだまだ謎だらけたかが百数十年前のことも、周辺の都市開発に伴っていろいろわからないことが多くなってきました。当時の絵図なども残っていたのでそれらと照らし合わせるとおおむね想定された地点に、それぞれの遺構が予想以上の状態で地中にパックされていることがわかりました。往時の甲府城を伝える重要な物的証拠でもあり、地道な調査の必要性を痛感する結果となりました。確認された地点への現地表示の必要性など今後の課題も見えてきました。 今回の調査は甲府市教育委員会と共同で実施致しました。事業主体者の甲府市上下水道局ならびに施工業者さんのご協力により、記録保存であっても文化財を保護することができました。ここにお礼申し上げます。
リンク:甲府城研究室
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