トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0136 百々遺跡出土の浄瓶
ページID:4532更新日:2017年6月2日
ここから本文です。
南アルプス市の遺跡0006十五所遺跡-方形周溝墓-0010大師東丹保遺跡-網代-0108大師東丹保遺跡-遺跡から発見された地震のツメ跡-0149大師東丹保遺跡-木製品-0200大師東丹保遺跡-出土した種子は何?-0259大師東丹保遺跡-下駄-0287大師東丹保遺跡-扇子の骨組-0357大師東丹保遺跡-洪水に埋もれた中期古墳-0392大師東丹保遺跡-地震痕のある遺跡-0017二本柳遺跡-木棺墓-0122二本柳遺跡-福寿院跡-0164二本柳遺跡出土の擂鉢-0276二本柳遺跡-火きり臼-0023宮沢中村遺跡-昆虫・網代-0051仲田遺跡-田んぼ-0052百々遺跡-八稜鏡-0065百々遺跡-錘-0066百々遺跡-馬の骨-0101百々遺跡-洪水の跡-0136百々遺跡-浄瓶-0172百々遺跡-平安時代の住居跡-0269百々遺跡-黒色土器-0274百々遺跡-古代のウシ・ウマ-0077善応寺遺跡-祭祀の水場-0081油田遺跡-田んぼと木製品-0144油田遺跡-木製竪杵-0231油田遺跡-体験学習用の復元品-0084堤防遺跡No.23-堤防の内部-0409釜無川堤防跡遺跡-0105石橋北屋敷遺跡-道路跡・区画溝-0106村前東A遺跡-パレススタイルの壺-0241村前東A遺跡-手焙形土器-0250村前東A遺跡-住居跡-0286村前東A遺跡-S字甕-0139宮沢中村遺跡-茶碗の焼継ぎ-0163大塚遺跡-約1,700年前の家の跡-0168新居道下遺跡の住居跡-0216長田口遺跡の鏡片-0340向河原遺跡-水田跡と杭列- |
百々遺跡について百々[どうどう]遺跡は南アルプス市にある遺跡で、平安時代の集落が発見されています。甲西バイパス道路・中部横断自動車道の建設工事に伴い、平成11年度から12年度までの2年にわたり発掘調査が行われました。 百々遺跡の詳細は、過去の遺跡トピックスをご覧ください。 百々遺跡で発見された浄瓶[じょうへい]写真左百々遺跡出土の浄瓶 写真右千葉県市原市荒久[あらく]遺跡出土の浄瓶※『日本陶磁大辞典』より
左側の写真が百々遺跡で出土した浄瓶の一部、右側の写真が千葉県市原市の荒久遺跡で出土した完全な形の浄瓶です。浄瓶はもともと金属製の器で、胴体の肩の部分に注ぎ口がつき、口縁部には細い管のついた蓋[ふた]がかぶせられていました。奈良・平安時代になると同じ形のものが須恵器や灰釉陶器で作られるようになり、その際に蓋の部分も一体化した形になりました。百々遺跡で発見された浄瓶の一部は一体化した蓋の部分(赤い点線部)です。 写真左浄瓶が出土した百々遺跡52区5号住居跡 写真右百々遺跡52区5号住居跡(上空から)
浄瓶は飲み水を入れる器で、肩の注ぎ口から水を入れ、先端の細い口からそそぎました。もともとは僧侶が使用する日常品であったものが仏前供具として使用されるようになったものと考えられています。このことから、浄瓶が出土する遺構は寺院との関連が深く、国分寺跡や寺院跡から出土する例が多いようです。 百々遺跡では、平安時代(9世紀後半ごろ)の竪穴住居跡の中から出土しました。この竪穴住居跡は、百々遺跡の一般的な竪穴住居跡が縦横4m前後であるのに対し、東西に6.2m、南北5.9mもあることから、集落内における特別な施設であったと考えられます。あるいは集落内寺院のようなものであったのかもしれません。
次の遺跡トピックスへ|遺跡トピックス一覧へ|一つ前の遺跡トピックスへ
|