稲山遺跡(いなやまいせき)その2
調査状況
稲山遺跡(笛吹市八代町岡所在)は山梨リニア実験線建設に伴い、今年の6月中旬から発掘調査が行われている遺跡です。調査区全体(約3,800平方メートル)のおよそ半分の調査が終わり、9月上旬にその状況を空中撮影しました[写真1]。
現在までに、遺構は地下式土坑(ちかしきどこう)2基、土坑14基、ピット61基、溝状遺構3条、集石土坑(しゅうせきどこう)1基、集石1基、方形竪穴状遺構(ほうけいたてあなじょういこう)1基。遺物は古銭、土器片、陶磁器片などが検出されています。
地下式土坑
戦国期(約400年前)の館付近に密集して発見されることが多い。直径1m程度の竪坑(たてこう)に続き横穴状になった部屋が地下に掘削(くっさく)されている。人骨の発見例は少ないが埋葬に関わる可能性が考えられる施設。
参考→遺跡トピックスNo.99玉川金山遺跡
土坑、ピット
地面に掘られた穴を広い意味で土坑と呼ぶ。墓は土坑墓、食料をしまうものは貯蔵穴(ちょぞうけつ)など用途によって呼び方を分ける。ピットは土坑よりも小さい穴。柱の穴など。
溝状遺構
川や水路が通っていたと考えられる細長い窪み。
集石
こぶし大の石が1ヵ所に集中している状態。
集石土坑
こぶし大の石が土坑の中を覆っている状態。
※集石や集石土坑は呼び方が同じでも、時代により使用目的や用途は異なる。
参考→遺跡トヒ゜ックスNo.118玉川金山遺跡
[写真1]空中撮影による調査状況の様子
稲山遺跡の様相
稲山遺跡は中世(14世紀~15世紀)の遺跡です。
前回の調査速報(遺跡トヒ゜ックスNo.150)で出土遺物から中世の遺跡である可能性が高いとお知らせしましたが、写真2、3のような地下式土坑がみつかったことにより確実になりました。現在までに2基検出されましたが、どちらも使用目的の手がかりとなる遺物は出土していません。
他県では主体部から人骨が出土している例もあり、地下式土坑=墓として考えられますが、山梨県では地下式土坑の発見こそ多いものの、人骨や副葬品らしい物の出土例はありません。
当遺跡では今回発見した地下式土坑主体部の底に近い土壌をサンプリングして科学分析に出します。それによって使用目的が判明するかもしれませんので、結果を期待します。
[写真2(左)]地下式土坑天井取り壊し状況
[写真3(右)]地下式土坑完掘状況
[写真4]地下式土坑主体部内部(工具痕)
[図1]地下式土坑模式図
写真4は集石土坑です。当初こぶし大程度の石が広がっていましたが、その下から土坑が検出され、さらに土坑内には写真のように土師質土器(はじしつどき)が伏せた状態で出土しました。直径8cmほどの小さなお皿です。何らかの意味があって土坑内に置かれたのだと思います。
[写真]集石土坑
[写真5]集石土坑内から出土した土師質土器
土師質土器
平安時代(794年~1192年)末以降の素焼きの皿状の土器。食器や灯明皿として使われた。
[写真6(左)]溝状遺構、ピット群
[写真7(右)]常滑(とこなめ)大甕口縁部出土状況(約650年前)
稲山遺跡の調査はいよいよ後半に入ります。これから調査する部分は、試掘結果から遺構や遺物が多く存在していることが判明しています。まだまだ多くの発見があると思いますので、次回の調査速報もご期待ください。
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