トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 遺跡トピックスNo.0244甲府城跡鉄門
ページID:32513更新日:2017年6月22日
ここから本文です。
県指定史跡甲府城跡一覧
|
鉄門とは?写真1 鉄門は、甲府城の本丸にあった櫓門の1つです。 甲府城は、豊臣秀吉の家臣であった浅野氏によって築城された織豊城郭(しょくほうじょうかく、織田・豊臣の時代に築かれた城郭)であり、豊臣政権の東日本の支配の拠点の1つとして重要な役割を持っていました。城内の石垣には、築城当時の技法である「野面積み(のづらづみ)」の石垣が多く見られるのが特徴です。 甲府城は、豊臣政権が終わり徳川家康による江戸幕府が成立して以降、徳川一門や重臣など幕府の重要な人物が城代や藩主になりました。特に、5代将軍徳川綱吉の側用人として有名な柳沢吉保も甲府藩主となり、甲府城の大改修を行っていることがわかっています。 柳沢吉保時代の記録である『楽只堂年録(らくしどうねんろく)』には、宝永2(1705)年に、甲府城内の建物等の名前を改称した記録があり、その中に鉄門の名前が見られます。また、『楽只堂年録』に収められている絵図にも、鉄門が確認できます。その他、江戸初期(1600年代)の成立とされる絵図や発掘調査の成果から、鉄門は江戸時代の初期にはあったと位置付けられています。また、明治初期の古写真や古文書によって、明治9(1875)年に払い下げられ撤去されるまで、その存在が確認されています。 鉄門の再確認調査の実施鉄門は、平成5年度に埋蔵文化財センターによって発掘調査が行われましたが、鉄門の復元をより史実の姿に近づけるために、今年5月、再確認の調査を行いました。今回の調査によって、当初の雨落ちや縁石、礎石の再検証がなされ、その成果をもとに今後鉄門を復元していきます。
写真調査風景
遺構全体の様子
雨落ちの遺構の調査の様子
確認調査の終了時
埋蔵文化財センターでは、鉄門の復元事業の様子を随時公開していきたいと考えています。ホームページも今後充実させていきますので、お楽しみに!
|