トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 遺跡トピックスNo.0320三ノ側遺跡
ページID:40469更新日:2017年6月13日
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都留市の遺跡0026四ノ側遺跡-平安時代住居-0070玉川金山遺跡-奈良時代甕-0080玉川金山遺跡-土坑墓-0090玉川金山遺跡-炉穴-0093玉川金山遺跡-鉄鏃-0099玉川金山遺跡-地下式坑-0118玉川金山遺跡-集石-0182玉川金山遺跡-台石-0082中溝遺跡-耳飾り-0104天正寺遺跡-弥生土器-0128天正寺遺跡-さまざまな弥生土器-0153中谷遺跡-柄鏡形敷石住居跡-0190中谷遺跡-三角とう形土製品-0258中谷遺跡-注口土器と蓋-0263中谷遺跡-集石土坑-0167美通遺跡-敷石住居跡-0174美通遺跡-猿橋溶岩と集石土坑-0201美通遺跡-発掘調査速報-0204美通遺跡-発掘調査速報2-0206美通遺跡-発掘調査速報3-0220美通遺跡-発掘調査速報4-0281美通遺跡-イノシシ形装飾付浅鉢-0289美通遺跡-D区発掘調査速報-0300美通遺跡-D区発掘調査速報2・玦状耳飾り-0175九鬼2.遺跡-埋納された装飾土器-0305九鬼2.遺跡-蔵骨器-0298三ノ側遺跡-皇朝十二銭・発掘調査速報1-0303三ノ側遺跡-須恵器・発掘調査速報2-0320三ノ側遺跡-竪穴住居跡のカマド・発掘調査速報3-0326三ノ側遺跡-掘立柱建物-0349三ノ側遺跡-羽口-0372牛石遺跡-縄文時代のストーンサークル-0400谷村城-歴史と変遷-0413谷村城-発掘調査速報- |
三ノ側遺跡は、都留市の上谷地区から田原地区にかけて存在する遺跡で、過去に都留市教育委員会によって2回(昭和56年、平成13~14年)の発掘調査が行われています。調査の結果、奈良・平安時代の住居跡や土坑などが発見され、昭和56年のスーパーマーケット建設に伴う発掘調査では、日本最初の流通貨幣とされる和同開珎(わどうかいほう・わどうかいちん)や皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)の一つである富寿神宝(ふじゅしんぽう)といった銭貨が出土しています。 山梨県埋蔵文化財センターでは、県立産業技術短期大学都留分校の建設に伴い、平成23年6月29日から12月26日まで発掘調査を行いました。 三ノ側遺跡空中写真(調査区の一部) 調査の成果今回の発掘調査では、奈良・平安時代の竪穴住居跡13軒、掘立柱建物跡4棟、土坑129基、溝状遺構7条、時期不明(おそらく江戸時代)の土坑6基、溝状遺構29条などを発見しました。また、竪穴住居跡を中心に、土師器や須恵器の坏(つき)や甕(かめ)といった土器、刀子(とうす)と呼ばれる小刀などの金属製品が出土しました。 竪穴住居跡のカマド古墳時代の中ごろから、竪穴住居跡の壁に煮炊きなどの調理をする施設として、カマドが作られるようになります。三ノ側遺跡で発見された竪穴住居跡では、住居の北側や東側の壁にカマドが作られていました。カマドは主に住居跡周辺に見られる溶岩を積み上げ、その周りを白っぽい粘土で固めて作られていました。住居跡周辺の土は、スコリアと呼ばれる富士山の噴火によって積もったザラザラした黒い小石がたくさん含まれていて固めることができないことから、灰などを混ぜて粘り気のある土を作ったのだと考えられます。 カマドの中や周辺からは、調理に使った甕などの土器が出土しました。これらの土器の形の違いから、住居跡は、8世紀前半、8世紀後半、9世紀前半、9世紀後半の4つの時期に分けられそうです。時期ごとにカマドの位置を見てみると、8世紀前半は北側(北カマド)、8世紀後半は東側(東カマド)、9世紀前半と9世紀後半は北側(北カマド)と、時期によってカマドの位置が統一される傾向が見られます。 発掘調査によって得られた様々なデータや出土品は、埋蔵文化財センターに持ち帰り、これから発掘調査報告書を作るための整理作業を行います。時期ごとのカマドの位置や、カマドに使われた粘土についてもさらに詳しく調べていきたいと考えています。 写真左:1号住居跡のカマド(北カマド)周辺の遺物出土状況 写真右:カマド(1号住居跡)の中からの遺物出土状況 写真左:7号住居跡のカマド(東カマド)※溶岩と河原の石が使われています。 写真右:カマド(7号住居跡)の中からの遺物出土状況 写真左:11号住居跡のカマド(北カマド)※白い粘土が崩れて周辺に広がっています。 写真右:カマド(11号住居跡)の溶岩と赤く焼けた地面
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