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ページID:86181更新日:2018年7月6日
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大月市の遺跡0013塩瀬下原遺跡-敷石住居-2005年8月10日~2005年8月16日 0083塩瀬下原遺跡-土器・石器-2007年2月15日~2007年2月20日 0227塩瀬下原遺跡-石皿-2010年2月24日~2009年3月2日 0063大月遺跡-敷石住居-2006年9月7日~2006年9月13日 0215大月遺跡-クリの炭化種子-2009年11月18日~2009年11月25日 0314大月遺跡-石器-2011年11月25日~2011年11月29日 0138原平遺跡-縄文時代早期末の住居-2008年4月30日~2008年5月7日 0279御所遺跡-奈良・平安時代の竪穴住居跡-2011年3月2日~2011年3月8日 0472花咲用水関連遺跡-花咲用水-2017年10月6日~2017年10月20日 |
塩瀬下原遺跡の大きな甕遺跡の内容写真1十字型敷石住居跡
塩瀬下原遺跡は、大月市梁川町塩瀬下原地内にあり、現在、桂川流域下水道終末処理場が建設されています。この遺跡は、十字形に平石が敷かれた縄文時代の建物跡(たてものあと)(写真1)が発見されたことで知られています。(トピックスNo.0013・0083)しかし、縄文時代以外にも、人が生活した痕跡があったのです。それは、今から900~1000年ほど前のもので、地面を掘った穴の跡や石を並べて列状にしたもので、1か所だけ遺物がまとまって発見された遺構がありました。これが、25号焼土遺構となづけたものです。
所在地 山梨県大月市塩瀬下原地内 時代 縄文時代中期末~後期・平安時代 報告書 山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第191集2001年3月塩瀬下原遺跡(第4次調査) 調査機関 山梨県埋蔵文化財センター 写真2調査区近景(中央の2階建てのプレハブの奥が調査地点) 25号焼土遺構から発見された大きな甕色はグレー、ザラザラした手触りの35点ほどの破片が、写真3の状態で見つかりました。細かく割れた破片を一か所にまとめた感じで、破片の周辺には、炭化した木材がたくさんありました。これを接合してみると、写真4のような、大きな甕に復元できたのです。残念ながら、完全な形にはなりませんでしたが、口縁部から胴部の形がわかるもので、大きさは、現状の高さ33.5cm、胴部の最大径70.6cmになります。当時は、愛知県渥美半島で焼かれた甕に似ていて、甕によくある器面を叩いて調整する技法から、900年ほど前のものと判断されました。でも・・・ 写真3甕の出土状況 写真4復元した甕 900年前?1500年前?実は、この甕のそばから見つかっている2点の炭化材から年代を測定する作業をしていました。その結果が、約1560年前と約1450年前だったのです。えっ!!これはどうゆうこと? 900年前の中世渥美窯で焼かれた甕と思っていたのに、1500年前の古墳時代の須恵器である可能性が出てきてしまいました。 発掘調査から20年。報告書から過去の調査を見直して見つかった矛盾・・・。 お恥ずかしいことですが、もう一度、甕の産地と年代について調べ直すことにしました。その結果は、次の機会にご報告します。
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