トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 遺跡トピックスNo.0195炭焼遺跡
ページID:25724更新日:2017年5月31日
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炭焼遺跡(すみやきいせき)とは?炭焼遺跡は、富士河口湖町の河口(かわぐち)地区にある平安時代から中世の遺跡です。国道137号河口2期バイパス建設工事に先立ち、塚越(つかこし)遺跡・井坪(いつぼ)遺跡とともに、平成15年・16年にかけて発掘調査が行われました。 所在地:南都留郡富士河口湖町河口 調査機関:山梨県教育委員会 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第237集2006年3月 この炭焼遺跡のある河口地区には、『甲斐国志』にみえる河口浅間神社という神社があります。この神社は、貞観6(864)年の富士山の大噴火の際に創建されたという説もあり、この大噴火の記事は、『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』(注1)という平安時代の歴史書にも見ることができます。 陽成(ようぜい)・光孝(こうこう)の3代の天皇の時代の記事をおさめています。 律令(りつりょう)を補足し、施行するための細かい法令のことを「式」といいます。 到着できるように、駅ごとに馬を乗り継ぐため、駅には馬をつねに置いていました。『延喜式』 には、甲斐国には「水市」「河口」「加吉(加古)」の3つの駅が置かれていたとあります。 炭焼遺跡の火打ち金写真炭焼遺跡出土の火打ち金 特長:全長10.2cm高さ3.9cm厚さ0.7cm 時代:12世紀後半前後(平安時代末期)か? 遺物包含層からの出土のため、時代が特定できず、形態が雲峰寺経塚(旧塩山市)出土の火打ち金(12世紀後半のもの)と似ていることから、12世紀後半前後ではないかと考えられています。 火打ち金は、県内では、平安時代から江戸時代までの遺跡で出土しています。しかし、この炭焼遺跡の火打ち金のような装飾されたものは、実用的なものというよりも、儀式的な要素が強いと言われています。
『古事記』には、ヤマトタケルノミコトが、東国遠征に向かう時に、おばのヤマトヒメから、「何かあった時には、これを使いなさい」と、火打ち金と火打ち石が入った袋を授けられ、ヤマトタケルは、遠征中にこの火打ち金と石で火をおこし、敵を追い払ったというエピソードが載せられています。 河口地区の遺跡の1つの滝沢遺跡を、現在調査中です!
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