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ページID:3701更新日:2019年2月1日
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甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園内の前方後円墳・甲斐銚子塚古墳は全長169mを誇る東日本最大級の古墳(4世紀後半)です。出土した三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡なのか、なぜこの地に巨大古墳が造営されたのか、卑弥呼とヤマト政権との関連も含めて完全には解明されていません。
弥生時代に始まった農耕は、鉄器の普及や耕地面積の拡大、灌漑(かんがい)技術等の発達により生産力が拡大、各地の政治集団は複雑な階層分化の道を歩みながら古代国家に発展していきます。
ヤマト政権から大和朝廷へ、そして聖徳太子や天武・持統天皇の時代へ、710年の平城京遷都(せんと)までのおよそ400年間を古墳時代と呼びます。
古墳からは様々な副葬品が出土しています。例えば、前期の古墳からは短甲(鉄片を皮でとじた鎧の一種)、刀剣類、工具類(のこぎり他)、石枕、鏡、勾玉、石釧(いしくしろ…石で作った腕輪)などが…。また、後期の古墳からは馬具、武器・武具、須恵器などが…。特にヤマト政権と密接な関係がある甲斐銚子塚古墳からは、前期では全国的にも珍しい木製品も出土しました。この木製品は、「木の埴輪」として墳丘に立てられていたものではなく、葬送儀礼の道具で、使用後に周溝内に破棄されたものと考えられます。
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450年頃、朝鮮半島から須恵器の技法が伝わり、またたく間に全国に広がります。窯を用いて焼成した日本最初のやきものである須恵器と弥生時代の系譜を引く土師器は、葬祭供献用や日用品として用いられました。展示コーナーでは、東海系文化(濃尾平野中心)の象徴とも言えるS字甕やコーヒーカップのような形をした須恵器など、様々な形が勢ぞろいしています。
(竪穴住居の中にかまどが作られるようになるのも古墳時代(中期)です。)
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