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ページID:3768更新日:2019年2月1日
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239年、邪馬台国の女王・卑弥呼は中国・魏に使者を送り「親魏倭王」の称号を受けました(『魏志』倭人伝)。投馬国や奴国など、クニの形成へと歩み出した弥生時代、その始まりは、渡来集団による米作りをはじめとした新しい文化・技術でした。新型土器の出現、およそ600年間の弥生時代は、発見された地名からそう呼ばれます。
水田耕作や機織り、そして鉄器・青銅器の使用など、弥生時代の新しい文化・技術を展示品から伺い知ることができます。
水田耕作→木製農具
(後期、笛吹市身洗沢遺跡、県指定文化財)
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容器形土偶(前期、笛吹市岡遺跡、県指定文化財)
大量の焼土と灰を土偶出土地点から数メートル離れた場所で確認、現存しませんが少量の骨片と骨粉・幼児のものと見られる歯数個が発見されました。顔面や頭髪の表現から、大きい方が男性(父親)、小さい方が女性(母親)と考えられ、裾広がりの安定した形は、蔵骨器(骨壺)として安置されていたことを示します。
「弥生土器」コーナー
弥生土器は壺・甕(かめ)・高坏(たかつき)・鉢に大別されます。一般的に形や文様はシンプルと言われますが、東日本では縄文時代の伝統が残ります。特に前・中期の壺には文様が施されヘラ磨きされています。