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ページID:46385更新日:2017年6月13日
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都留市の遺跡0026四ノ側遺跡-平安時代住居-0070玉川金山遺跡-奈良時代甕-0080玉川金山遺跡-土坑墓-0090玉川金山遺跡-炉穴-0093玉川金山遺跡-鉄鏃-0099玉川金山遺跡-地下式坑-0118玉川金山遺跡-集石-0182玉川金山遺跡-台石-0082中溝遺跡-耳飾り-0104天正寺遺跡-弥生土器-0128天正寺遺跡-さまざまな弥生土器-0153中谷遺跡-柄鏡形敷石住居跡-0190中谷遺跡-三角とう形土製品-0258中谷遺跡-注口土器と蓋-0263中谷遺跡-集石土坑-0167美通遺跡-敷石住居跡-0174美通遺跡-猿橋溶岩と集石土坑-0201美通遺跡-発掘調査速報-0204美通遺跡-発掘調査速報2-0206美通遺跡-発掘調査速報3-0220美通遺跡-発掘調査速報4-0281美通遺跡-イノシシ形装飾付浅鉢-0289美通遺跡-D区発掘調査速報-0300美通遺跡-D区発掘調査速報2・玦状耳飾り-0175九鬼2.遺跡-埋納された装飾土器-0305九鬼2.遺跡-蔵骨器-0298三ノ側遺跡-皇朝十二銭・発掘調査速報1-0303三ノ側遺跡-須恵器・発掘調査速報2-0320三ノ側遺跡-竪穴住居跡のカマド・発掘調査速報3-0326三ノ側遺跡-掘立柱建物-0349三ノ側遺跡-羽口-0372牛石遺跡-縄文時代のストーンサークル-0400谷村城-歴史と変遷-0413谷村城-発掘調査速報- |
三ノ側遺跡は、都留市の上谷地区から田原地区にかけて存在する遺跡で、古代都留郡の多良郷【たらごう】の中心に近い遺跡ではないかと考えられています。過去に都留市教育委員会によって2回(昭和56年、平成13~14年)の発掘調査が行われています。その結果、奈良・平安時代の住居跡や土坑などが発見され、昭和56年のスーパーマーケット建設に伴う発掘調査では、日本最初の流通貨幣とされる和同開珎【わどうかいほう・わどうかいちん】や皇朝十二銭【こうちょうじゅうにせん】の一つである富寿神宝【ふじゅしんぽう】といった銭貨が出土しています。 山梨県埋蔵文化財センターでは、県立産業技術短期大学都留分校の建設に伴い、平成23年6月から12月まで発掘調査を行い、奈良・平安時代の竪穴住居跡13軒、掘立柱建物跡4棟などを発見しました。 関連トピックス 鉄を溶かす道具-羽口-[写真左:羽口の先端部分] [写真右:羽口の先端部分(裏側)] 写真は、三ノ側遺跡の4号住居跡という奈良時代の竪穴住居の中から出土した羽口【はぐち】の先端部分です。羽口とは、鍛冶【かじ】(鉄などの金属を作り出すこと)に使われる道具の一つで、鉄を溶かすためにフイゴ(風を送る装置)から炉の中に風を送り込むための土製の管のことです。先端部分は炉の中に飛び出しているので、炉の中で溶けた鉄が付着しています。 [図:羽口の使用想像図] [写真:羽口の先端部分が出土した大型の竪穴住居跡(4号住居跡)] 4号住居跡は、三ノ側遺跡で発見された他の住居跡よりもひと回り大きい大型の竪穴住居跡です。このような大型の竪穴住居跡から鍛冶に関する道具が出土する例は他の遺跡(北杜市寺所遺跡など)でもあり、集落の中で中心的な役割を担っていたと考えられます。 鉄や鉄の道具を作り出す作業は、砂鉄や鉄鉱石から鉄を溶かし出す「製鉄」、溶かし出した鉄から炭素を取り除いて、さらに強い鉄を作る「大鍛冶【おおかじ】」、鉄のかたまり(または使えなくなった鉄の道具)から鉄の道具を作り出す「小鍛冶【こかじ】」や「鋳造【ちゅうぞう】」の3つの段階に分けることができます。 山梨県内では、今のところ「小鍛冶」や「鋳造」を行った工房跡しか発見されていません。三ノ側遺跡から出土した羽口も、竪穴住居の中で行われた「小鍛冶」に使用されたものと思われます。 引用・参考文献
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