トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 遺跡トピックスNo.449十五所遺跡 > 遺跡トピックスNo.452王塚古墳
ページID:75787更新日:2016年11月14日
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中央市の遺跡
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王塚古墳は、甲府盆地の南側に小山が連なってみえる曽根丘陵のひとつ中央市大鳥居宇山平にあります。中央市の指定史跡になっています。甲府盆地からも見ることができ、山の上にポコンと突き出た人のお腹のように見えることから中央市玉穂地区ではかつて「でべそやま」と呼んでいました。墳丘には桜が植えられており、春先にはピンク色に染まって見えます。
甲府盆地からみる王塚古墳
5世紀後半の前方後円墳
この古墳は、全長61m、後円部の直径40m、高さ7mの前方後円墳です。前方部はかなり開墾されてしまっているのかかなり短く、ホタテガイのようなかたちになっています。昭和初期に地元の人たちによって掘りだされた後円部の竪穴式石室からたくさんの副葬品がみつかりました。竪穴式石室はとてもめずらしい合掌形であったということで県内唯一の例です。副葬品は、鉄剣5、鉄刀8、鉄鉾3、鉄鏃400くらい、短甲2、挂甲1、眉庇付冑1、管玉2が出土しています。墳丘からは円筒埴輪列がめぐり、人物埴輪、馬型埴輪などもみつかったらしいです。さらにこれ以外に衝角付冑1、眉庇付冑、馬具が出土したと伝えられています。5世紀後半の武器・武具を主体とした副葬品を持つ前方後円墳です。県内でこれほど武器武具が出土した古墳はこれ以外にありません。古墳時代がはじまる4世紀には王塚古墳のもう少し東側の旧中道地区にある小平沢古墳、天神山古墳、大丸山古墳、銚子塚古墳といった100mを超える大型前方後円墳が密集しますが、5世紀になると前方後円墳は中道地区ではつくられなくなり、その周辺にひろがってつくられ、勢力が拡大していくようすがわかります。5世紀代の古墳で王塚古墳ほどの副葬品を持つものは他になく、大和政権と結びついた強大な軍事力を持つ豪族がこの地にいたのでしょう。
古墳に行ってみる 王塚古墳周辺は畑地になっていて道もとてもせまく、自動車で行くには注意がひつようです。国道140号沿いにある「道の駅とよとみ」から歩いていくのも一興で40分ほどで到着できます。春先にはいく道沿いに桜並木があります。また高台にあるのでとても景色がきれいで、途中みおろす甲府盆地の風景はまるでフランスの農村のようだとたとえられることもあります。
道の駅からは第2駐車場からまず南へ向かいます。龍心院を左にみて進むと浅利地区の郷倉跡にでるので左がわへ道なりに向かって三叉路をまた左へいくと県道へでます。県道の前には大きな石碑が立っています。
横断歩道を渡ってまっすぐ進んで浅利川の土手をあがり戌申橋を渡り、右側へ折れて土手を斜めに下ると角川地区にはいります。甲斐源氏浅利与一の菩提寺の法久寺へ左に曲がってむかい、お寺に沿って左へ進むと日曜学校跡という石碑が道沿いにあります。ここを右に折れて進むと角川地区から宇山平への上り坂になります。この道は桜並木なので春先にはとてもきれいで、とちゅうには甲府盆地がよく見えて気持ち良く歩けることでしょう。
途中公園で一休み、ここから新道地区にはいり、公園の右側のほうへまた道なりにしばらく上っていきます。道が大きく右へカーブし始めるころ集落を抜けて畑地がひろがりますが、もうしばらく道なりに進むと、右側の民家の先に林になった伊勢塚古墳がみえますが、次の民家の先で右におれて貯水タンクへ向かいます。貯水タンク手前の民家を左に折れ、その先を右に、また右に行くと正面に王塚古墳が見えます。 やっと王塚古墳に到着っっ! 王塚古墳から見る甲府盆地と南アルプスの北岳~ああ気持ちいい!
古墳の頂上は桜が大きくなってあまり景色がよくありませんが、北側には甲府盆地が一望できる景色が広がり、また南側には豊富地区も一望できるというかつて物見台といわれただけの展望があります。5世紀当時この古墳の威容は、甲府盆地方面はもとよりあらゆるところへにらみをきかせる効果があったことが想像できます。西隣りの三珠地区の大塚古墳もここから見おろせます。まさに王の墓にふさわしい場所です。夜は甲府盆地の夜景もきれいかもしれませんよ。秋の小春日和に歩く古墳はとても気持ちがいいものですね。 王塚古墳全景
この古墳については中央市豊富郷土資料館にて2016年12月25日まで企画展「王塚と甲斐の5世紀」で紹介しています。発掘当時の写真や出土した埴輪、冑などが展示してあり詳しく知ることができますよ。なお王塚古墳の出土品の大部分は東京国立博物館に収蔵されています。
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