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ページID:68299更新日:2017年5月10日
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中央市の遺跡
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小井川遺跡について旧田富町の布施地区に立地しています。新山梨環状道路の建設に先立って、平成15年から18年にかけて調査されました。 この遺跡からは、全国でも類をみない平安時代の補強材として木製の杭を使用したカマド、中世の荘園である布施荘園の実在を証明する荘司の墓石、戦国期における濠を伴った大規模な建物の遺構が発見されました。 笛吹川と釜無川にはさまれた低地であり、水害が多く遺跡が残りにくいといわれたこの地域において、この調査によって近世以前の歴史が鮮明に描き出されたことに非常に意義のある遺跡といえます。 所在地:中央市布施小字小井川 時代:中世 調査期間:山梨県埋蔵文化財センター 報告書:『小井川遺跡3.』山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第255集
リサイクルされた墓石この小井川遺跡周辺は鎌倉時代には布施荘という荘園が広がっており、藤原氏の領地であったことが判っています。そしてこの地には、その荘園を管理していた仁藤布施兵衛忠光という人のお墓があったようです。 その後、戦国時代になると大規模な建物が建てられました。この戦国時代にたてられた建物のいろいろなところで、仁藤布施兵衛忠光のお墓の墓石がリサイクル(転用)されていました。 今考えると、他人のお墓をリサイクルするなんて、あまりゾっとしない話ですが、当時は結構当たり前だったようです。
左図の四角い礎石を拡大したのが、右図です。何か文字が彫ってあるのがみえますが、詳しくは過去の 遺跡トピックスNo.0036をご覧下さい。中世のお墓の様式である五輪塔の一部です。
赤丸で囲まれているのが墓石です。当時はこの溝に水がたたえられ、それを渡る為に橋がかけられていた と考えられています。
池のような形状をした遺構からも墓石が出土しました。やはりこちらも橋の基礎として使われたようです。
まとめリサイクルされた墓石が発見されたのは以下の場所からです。 1.西付属屋の礎石 2.東側濠の木橋の基礎 3.東南側池状遺構の木橋の基礎 4.東南側池状遺構の根石 5.東南側池状遺構の敷石 などです。 最初にも書きましたように現在建物の礎石や橋の基礎に墓石をリサイクルするなんて、なんか罰当たりな気がしてしまいますが、近代以前においては、その辺の感覚はおおらかのようで、例えば一つ前の遺跡トピックスNo.0423「横森赤台遺跡(北杜市)」では、土坑に大量の墓石がうち捨てられているようすが書かれています。 このように現代では、罰当たり思えるような墓石をリサイクルしてしまう行為も、当時は罰当たりではなかったことが読み取れます。当時の価値観が、現代の価値観とは異なっていることがわかる遺跡といえるのではないでしょうか。
そのような過去の価値観が、どのような特徴をもってどうして形作られたのかを考察しながら歴史を視るのも、歴史が持つおもしろさの一つだと思います。
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