トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 遺跡トピックス No.526 美通遺跡 縄文の調理場? 〔都留市〕
ページID:104195更新日:2022年5月6日
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都留市の遺跡
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2021年度の美通遺跡発掘調査について都留市にある美通遺跡は、朝日川、菅野川、桂川の3つの河川が合流するところに立地する遺跡で、これまでに縄文時代や弥生時代、平安時代、中世の遺跡であることがわかっています。 2021年に山梨県埋蔵文化財センターが実施した調査でも、今回ご紹介する縄文時代の集石遺構や、弥生時代の壺が発見された土坑(穴)、平安時代や中世のものと考えられる土抗などが発見されました。 美通遺跡の過去のトピックス:No.167,174,201,204,206,220,281,289,300 集石遺構って、どんなもの?美通遺跡で発見された集石遺構は、下の写真のように穴を掘った後に、石を詰めてつくられています。おびただしい数の石とともに、少量の縄文土器が発見されるものもあり、これらが縄文時代の遺構であることがわかりました。
写真:穴に石が詰められている様子
石は、美通遺跡に隣接する朝日川で採取可能な砂岩や礫岩、玄武岩、溶岩が使われています。朝日川では花崗岩も採取できますが、熱に弱く、何度も火にかけると崩れてしまうことから、選択されなかったものと推測できます。 どの石も火で焼かれていて、割れたりヒビが入ってしまったりしているものが多いです。石焼き芋をつくる時のように石を熱し、食材を焼いたり蒸し焼きにしたりして調理していたものと考えられます。 写真:火を受けて割れた石たち 石と石の間から炭が見つかったり、周囲の土が炭で真っ黒になっていたりすることからも、石を焼いて熱したことが窺えます。 写真:石を取り外したところ(穴の中が炭で真っ黒になっています) 集石遺構がたくさん集まった集石遺構「群」2021年の調査では、集積遺構が1箇所にいくつも集まってできたと考えられる「集石遺構群」も発見されました。 写真:発見された集石遺構群 集石遺構群では、所々に作業台のような「台石」が置かれていて、ここで調理をしていた様子をいっそう具体的に想像させてくれます。 写真:集石遺構群の中に置かれた台石 文化としての「たべること」今回の調査では、集石遺構の周囲から竪穴建物跡など縄文人の住居跡は発見されていません。そのため、ここが日常的な調理の場であったかは不明です。 長野県の阿久遺跡では、集落のまん中にある墓域を取り囲むように集石遺構が発見されており、祖先に備える儀礼食の調理や、共食儀礼の場であった可能性が指摘されています(谷口1986)。 今回の美通遺跡の集石遺構とは様々な点で特徴が異なるため、美通遺跡の集石遺構を祖先祭祀と単純に関連づけることはできません。しかし、「たべること」は、生きるためだけでなく、文化的な行為に伴うものでもあるのだと気付かされる研究事例です。 また、土器での「煮る」「茹でる」や、炉での「焼く」「炙る」以外に、集石による「石焼き」や「蒸す」といった調理方法が想定でき、集石遺構は、縄文人の食文化の多様性も垣間見せてくれます。
【参考文献】 谷口康浩 1986 「縄文時代『集石遺構』に関する試論」東京考古4, pp.17-85
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