トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 山梨県埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNO.0525「福部遺跡」
ページID:101022更新日:2022年7月6日
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福部遺跡の概要今回は、令和2年度に新たに見つかった甲府市の福部遺跡について見ていこうと思います。発掘調査の契機は新山梨環状道路東部区間2期建設工事に伴うものです。 福部遺跡は甲府市落合町にある遺跡で、濁川・平等川(旧笛吹川)・笛吹川の3河川が合流する地点にあって、標高は253m程度になります(図1・2)。調査地点の周辺には遺跡の分布は少ないですが、濁川の上流では甲府市がヂクヤ遺跡を調査しており、古墳時代初頭から中世にかけての遺構や遺物が確認されています。また本遺跡の西側には小瀬氏や落合氏、小曲氏などの中世土豪屋敷跡が伝わっています(甲府市により周知の埋蔵文化財包蔵地に登録)(図3)。工事予定地点は、周知の埋蔵文化財包蔵地ではありませんでしたが、令和2年6月に、埋蔵文化財の有無を確認するために試掘調査を実施し、地表下2.8mに中世の遺構面があることが確認されました。 図1 福部遺跡周辺地図(国土地理院発行 1/25000)
図2 福部遺跡鳥瞰写真(北西から撮影)
図3 福部遺跡と周辺遺跡 何度も洪水にあった遺跡福部遺跡の基本土層(堆積の状況)は、厚い細砂層やシルト層(砂と粘土の間の粒径)が交互に積み重なった層で、大きな礫が入り込む層はなく、ラミナ(流水によってできる縞模様)が発達した層がいくつか確認できることから緩やかな氾濫を幾度か受けていたと考えられます。氾濫層の下には、中世の遺物包含層(灰色砂層)や遺構面(暗灰黄色細砂層)が確認できました。調査区の南壁を観察すると、深さ2.8mの間に洪水と考えられる層が4回確認できます(図4)。わずか600年ほどの間に何度も洪水の被害に遭っていたことがわかります。 前述の通り、いまでも福部遺跡のすぐ隣には3本の川が流れており、洪水常襲地域の氾濫原であることがよくわかります。後述する遺構の内容などからもこの地域に人が住んでいたことはあまり考えにくいと思われます。このような土地条件での発掘調査であったため、地中壁面や調査区の底面から噴出した地下水を、水中ポンプ等によって24時間体制で排水しました。遺構面も湧水による状態の悪化のため、安全対策の都合上、調査範囲が一部で限られることとなりました。
図4 遺跡の壁面で確認できる洪水の跡
舶来品(輸入品)と考えられる遺物が出土 遺物包含層からは、室町時代中期を中心とした遺物が出土し、かわらけ(素焼きの土器皿)、青磁、白磁などの破片や宋銭(当時の中国のお金)、鉄滓(てっさい:鍛冶行為をした際に出る不純物の塊)、もえさし、砥石などが確認できました。古墳時代の土器も数点確認されましたが、摩滅の状況から流れ込みの可能性が考えらます(図5)。 また畑跡も2箇所確認でき、畝間と考えられる何本もの溝が、南北方向に平行している様子が確認できました(図6)。 かわらけは中世の遺跡であればよく出土する遺物ですが、青磁や白磁、宋銭などの遺物は当時の中国や朝鮮からもたらされた舶来品の遺物であり、当時の高級品と考えられます。また、鉄滓や炭溜まりの遺構は鍛冶行為を行っていた際のものと思われます。 なお、遺跡は常時湧水があることから、低湿地遺跡の様相を呈していますが、植物遺体や木製品はあまり残存していませんでした。このことから遺構が形成・埋没された時期には、微高地となっており、地下水位が低かったものと推定されます。
図5 出土した遺物の一部
図6 畝間と考えられる溝状の遺構
まとめ福部遺跡は甲府盆地の中央部の地下深くにある室町時代の遺跡で、昔から何度も洪水を受けてきた氾濫原地域にあります。 当該地点の西側一帯にかけては、落合氏屋敷跡、小曲氏屋敷跡、今井氏屋敷跡、北西側には小瀬氏屋館跡と、中世から近世土豪の拠点とれる遺跡が展開します。出土した遺物に舶来品(高級品)がいくつも見られることからこれら、土豪屋敷に関わる遺跡ではないかと考えられます。また、洪水多発地域という土地の環境(人が生活するのは難しい)と畑跡や炭溜まりの遺構など、集落跡というより、周辺の土豪屋敷や集落に付属する生産遺跡の可能性が考えられます。
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