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ページID:4608更新日:2017年6月5日
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県指定史跡甲府城跡-金箔瓦
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県指定史跡甲府城跡-滴水瓦(てきすいがわら)-写真1甲府城跡内松陰門から本丸を望む
甲府城(甲斐府中城)は1590年(天正18年)豊臣秀吉が天下統一を成しとげた後、羽柴秀勝(秀吉の甥)や加藤光泰(秀吉の腹心の部下)らによって築城が始められたと考えられています。加藤光泰が秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)で渡海し、病死すると、浅野長政(豊臣政権の五奉行の一人)と、その子幸長(よしなが)が甲府に入城し築城を積極的に進めます。この幸長も光泰と同じく秀吉の朝鮮出兵(慶長の役)で渡海しています。甲府城は浅野親子らにより完成に至ったと考えられています。
甲府城の歴史について、詳しくはこちらをご覧下さい。甲府城研究室
所在地:甲府市丸の内1丁目地内 時代:中世~近世・近代 報告書:山梨県埋蔵文化財センター報告書 山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター 滴水瓦(てきすいかわら)とは?甲府城から発掘された遺物の中で最も多いのが瓦です。丸瓦、平瓦をはじめ、鯱瓦、鬼瓦など500トンもの瓦が発掘されています。その中に瓦当面(軒に面する部分)が逆三角形をしていて、雨水が滴(したた)るような形に作られためずらしい瓦、「滴水瓦(てきすいがわら)」(剣高瓦とも呼ばれる)が含まれています。(写真2) 写真2滴水瓦勤番士時代 写真3韓国昌慶宮景春殿の滴水瓦
滴水瓦は支那式唐草瓦(しなしきからくさがわら)、高麗瓦(こうらいがわら)、朝鮮瓦(ちょうせんがわら)とも呼ばれ、今から約600年ほど前の中国明時代に普及し、李氏朝鮮(りしちょうせん)に多大な影響を与えました。大陸では今でも多く使用されています(写真3)。日本では豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に参戦した大名たちが築いた城に突如多く用いられるようになります。(甲府城の築城に関わった加藤光泰・浅野幸長も朝鮮へ出兵しています。)その後、関ヶ原合戦以降の大名たちの配置転換の中で、その使用は全国に広がって行きます。 甲府城の滴水瓦いつ使われた瓦だろう?甲府城では39点の滴水瓦が出土しています。中には大阪城などと同紋の滴水瓦もあります。これは加藤・浅野の築城期のものと想定されます。以降、徳川親藩時代から柳沢・勤番士時代にかけての滴水瓦も発見されており、この瓦が継続的に使用されていたことがわかっています。下の写真4・5・6は甲府城から発掘した滴水瓦を時代順に並べたものです。(上記写真2は一番新しい年代のものです) 写真4築城期 写真5徳川親藩期 写真6柳沢期 どこに使われた瓦だろう?国宝の姫路城や松本城にもこの滴水瓦は使用されています。姫路城は写真3の韓国の瓦と同様、軒丸瓦の間に葺かれ、上に面した部分と軒に面した部分が鈍角に接合されています。これに対し、松本城(写真7)は屋根と屋根の谷間など限定的に使用され、接合部分は直角になっています(和瓦化している)。甲府城では出土数が少なく、また和瓦化していることから、松本城と同じく限定的に使用されたと考えられます。また本丸周辺から出土していることなどから考え、金箔瓦(トピックスNo.0069)と同様に権力の象徴として用いられたのではないかと考えられます。 写真7松本城の滴水瓦 関連リンクその他甲府城跡に関わる遺跡トピックスです。是非ご覧下さい。 No.0039、No.0043、No.0119、No.0124、No.0127、No.129
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