トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 遺跡トピックスNO.0523「国指定史跡甲府城-築城期の瓦②「平瓦」-」
ページID:100029更新日:2021年6月22日
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甲府城の歴史のおさらい甲斐国は、天正10(1582)年に武田氏が滅びると、織田信長の領国となりましたが、本能寺の変後は徳川家康の支配下となり、平岩親吉が城代になりました。その後、豊臣秀吉が天下統一を果たすと、徳川家康は関東に移され、甲斐国は豊臣秀吉の甥にあたる羽柴秀勝が支配することになりました。羽柴秀勝の移封後は、加藤光泰が、光泰が文禄の役で没すると浅野長政・幸長の支配となりました。ここまではいいかな・・・? 軒平瓦
軒先にくるのが軒平瓦、その後ろに並ぶ瓦当の無いものを平瓦といいます。
坪井利弘「日本の瓦屋根」理工学社(1976)より
稲荷櫓の屋根
築城期と推定されるものには、大きく分けると2種類が認められます。細分化すると5種類に分けられます。最も古いタイプがA類「三葉均等唐草紋」を配するもので、これに続くタイプがB類「五葉均等唐草紋」を配するもので、いずれも羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政・幸長の三代で使用されたものと推定されます。
【A類】
瓦当面(下向き三葉)
面取り
側面
裏面
【B類】 瓦当面
面取りとキガキ痕
中心飾りアップ
平瓦の特徴について版型と粘土を外すために使われるキラ粉の痕跡が無く、粘土粉や離れ砂を使用された痕跡が確認できます。全体的に調整が甘く、やや粗雑な作りとなっています。青瓦(須恵質)と赤瓦(土師質)が認められ、赤瓦には「いぶし」が施されているのが特徴です。瓦当面の径はおよそ七寸(21センチ)から9寸(27センチ)の規格があることから、時期差や用途(建物の大きさ)により使用した瓦が異なることを示しています。瓦当面が大型化してくるのはB類からなので、家紋が配される軒丸瓦の特徴と合わせると、櫓のような大きな建物が完成したのは浅野領有時代と推定することができます。A類は大坂城や掛川城などと同系で、上方の職人の影響が考えられます。B類の中心飾りは全国に例がなく、甲府城オリジナルデザインとなります。転封先の和歌山城に引き継がれていないのがちょっと不思議な気がします。現在のところ金箔の付着は認められませんが、丁寧に精製されたものもあることから、今後発見される可能性もあります。
次回は、御府内以外での出土は珍しい江戸瓦の謎に迫ります。
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