トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.522 平林2号墳金銅製飾金具とその意匠
ページID:99899更新日:2021年6月3日
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平林2号墳に関するトピックス |
1)平林2号墳について 平林2号墳は、甲府盆地北側の笛吹市春日居町吾妻山にあります。古墳の周辺には40基ほどの円墳や積石塚があり、これらを総称して春日居古墳群と呼ばれています。古墳群の年代はおおよそ6世紀~7世紀(今から1500~1400年前)です。 所在地:山梨県笛吹市春日居町 【写真1】平林2号墳(発掘調査時の様子) 2)金色に光るコレは・・・それでは、今回ご紹介する出土品をみていきましょう。古墳から小さな破片の状態で発掘されたようで、そのなかでも比較的わかりやすい2点を紹介しましょう。【図1、写真1・2】表面と裏面に鍍金(金メッキ)がされているので、金色に光り輝いています。ゴージャスですね! 厚さは0.25mm~0.3mmほどのとても薄い製品で、いずれも小さな破片でもともとの形状は分かりませんが、輪郭を文様のように削ったり(透かし彫り)や孔をあけて金銅製の針金を通しています。2をみると針金に小さな丸い飾りが付いていますね。 また、「点打ち」で装飾を施しています。点打ちは、彫金技術の一つで、たがね工具により表面をへこませる技術です(鈴木2004)。点を打って線のようにみせる方法です。【図2】 点打ちによる装飾には、輪郭に沿うもの、平行多条直線状にまっすぐの方向に数本打つもの、くるんと丸めた唐草文風の文様などが見られます。さて、この金銅製品はいったい何に使ったものでしょうか。結論から言いますと‥‥正確にはわかりません(笑)。装飾品的な物であると考えられるので、今回は、金銅製飾金具という名称を使用していきます。 実はこの金銅製飾金具と似たものが、平林2号墳から出土しています。それは、遺跡トピックスNo.495で紹介した金銅製冠立飾です。材質も同じで、点打ちによる文様や孔を開けて、針金を通すなど共通する要素をもっています。また孔や点打ちはサイズも同じであり、金銅製冠飾に付属する製品の可能性があります。 平林2号墳の副葬品の年代は、7世紀ごろと考えられ(北澤2020)、時代で言うと古墳時代終末期・飛鳥時代になります。 【図1】金銅製飾金具(実測図) 【写真2】金銅製飾金具1
【写真3】金銅製飾金具2(オモテ)
【写真4】金銅製飾金具2(ウラ)
【図2】点打ち模式図 3)金銅製飾金具のもつ意匠の特徴 この金銅製飾金具で注目していただきたいのは、点打ちによる平行多条直線状の装飾です。この装飾こそが、この金銅製飾金具が物語るとても重要なものです。 4)毛彫りと仏教意匠そもそも平行多条直線(田中1980)【図3】とは、たがね工具を使用して金属板の表面を削る、「毛彫り」【写真4・5】という技法によって施されます。平行多条直線などの文様をもつものを「道上型毛彫」(田中1980、古川2019)と呼んでいます。
【図3】法隆寺玉虫厨子飾金具(山本1996掲載画像からトレース) 【写真4】甲斐市竜王2号墳出土の金銅製杏葉(ぎょうよう)(7世紀中頃) ※毛彫りをもつ馬具のなかで、最終段階の事例であり文様が簡略化されている。
【写真5】毛彫りの様子 この毛彫りを使用した彫金技術は、聖徳太子が創建した法隆寺などの仏像の宝冠や玉虫厨子に代表される、6世紀後半から7世紀、つまり古墳時代終末期・飛鳥時代の仏教荘厳具や馬具・冠飾・装飾付大刀などの古墳の副葬品に施されています。 5)金銅製品飾金具の評価
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