トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 遺跡トピックスno.462「平林2号墳」
ページID:79795更新日:2017年5月15日
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今回の遺跡トピックスでは笛吹市春日居町の平林2号墳出土の須恵器の一種である坏の年代について考えてみたいと思います。
平林2号墳は甲府盆地北側の吾妻山のふもとの西向き斜面(標高約300m)に位置しています。ここには約40基で構成される春日居古墳群が造営されており、この古墳もその中のひとつです。平成10年に西関東自動車道建設に伴って発掘調査が実施され、直径約15mの円墳であることが判明し、くつわなどの馬具類のほか装身具類が多く出土しました。今回のトピックスでは大量に出土した須恵器に着目してみたいと思います。
所在地:笛吹市春日居町鎮目
時代:古墳時代後期~終末期
報告書:山梨県埋蔵文化財センター報告書第175集2000年(平成12年)刊行
調査機関:山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター
これまでの平林2号墳に係わる遺跡トピックスでの掲載内容
No.0059副葬品
No.0079青銅鏡
No.0182ガラス玉
No.0202馬具類や装身具類
出土した須恵器の総数は約50点あります。それらを大まかに見ると6世紀後半から8世紀前半代と幅を持っていくつかに分類できるようです。
そこで、今回は須恵器の中でも時代区分をするにあたってポピュラーな器種である坏類に目を向けてみることにします。
坏は坏身(つきみ)と坏蓋(つきぶた)のセットで図をご覧下さい。
時期は図のように形や大きさで6期の時代区分に分けることができました。このことは、須恵器の編年が遅れている本県においての大きな目安のひとつとなるものです。
また、坏の時期が6区分できることと他の副葬品の時期からこの古墳では、少なくとも6回以上にわたって遺体を同一の石室に葬る、いわゆる追葬が行われたと言えます。それは言い換えれば、須恵器が時計の役割をしていること、さらには、6.期の須恵器については8世紀前半の奈良時代になってもなお古墳が使用されていたことがわかります。
なお、今回紹介した須恵器は、調査で出土した馬具、武具、装身具類、鏡などとともに平林2号墳の出土品として一括して県の文化財に指定されています。