ページID:89926更新日:2019年6月10日
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山梨県初!?平林2号墳の金銅製冠飾
平林2号墳に関するトピックス
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1)平林2号墳について
平林2号墳は、甲府盆地北側の笛吹市春日居町吾妻山にあります。古墳の周辺には40基ほどの円墳や積石塚古墳があり、これらを総称して春日居古墳群と呼ばれています。(第1図)。古墳群の年代はおおよそ6世紀~7世紀(今から1500~1400年前)です。
古墳は、1998年に発掘調査が行われ、2000年に調査の成果をまとめた報告書が刊行されています(山梨県埋蔵文化財センター報告書第175集『平林2号墳-西関東連絡道建設に伴う発掘調査―』)。
平林2号墳は横穴式石室をもつ円墳でした。その石室の中から、2面の青銅鏡や金銅張が施された馬具、勾玉、ガラス玉、などの豪華な副葬品が発見されています。また、石室の外側からは6世紀後半から8世紀前半の須恵器が発見されています。これらの出土品は、一括して山梨県の指定文化財になっていて、一部は考古博物館に展示されています!
また、現在この古墳は、もともとあったところから移築して、復元されています。
2)金銅製冠飾の形状と特徴
さてこの冠飾についてみていきましょう。
長さ25.2cm、最大の幅は2.3cmで、断面は逆「V」字状、厚さは0.6mmほどの薄くて長細い形状をしています。
冠飾は、内側・外側ともに金メッキが施されていて、非常に軽いです。
この冠飾を良く観察してみると、側面と上部に小さな孔と丸いくぼみがほとんど等間隔に多数施されています。これはいったい何のためにあるのでしょうか?
まず、くぼみについて見ていきましょう。丸いくぼみは、孔の下側にみられます。これは、冠飾を装飾するために、先端が丸い鑿(ノミ)のような工具で付けたと考えられます。
次は孔についてです。孔の大きさは1mm程度で、孔の一部には2つの孔をワンセットにして針金が残っています。この針金も冠飾と同じように金色です。
針金が残っていない孔を観察してみると、ほとんどの孔も金属のようなもので中が埋まっています。ということは、孔は、針金などの金属を通すために使われたものであると考えられます。
次に、針金の用途を考えてみましょう。他の確認されている冠の例から二つの用途が想定きます。一つは、頭にかぶる冠が皮や木などの有機質を素材にして作られ、冠飾を装着するため。二つ目は、装飾品をぶら下げるためです。この装飾品ですが、熊本県江田船山古墳や奈良県藤ノ木古墳などから発見された冠には歩揺(ふよう)という小さな金銅板が多数つけられてありますが、残念ながら平林2号墳からは、そういったものは確認できていません。
金銅製冠飾(上から)金銅製冠飾(右側)
鑿(ノミ)状工具による丸いくぼみと孔の様子
裏側に残る針金の様子
以上、二つの使い方が考えられるのですが、冠の素材と考えられる有機質などは、はっきりと残っておらず、装飾品についても良く分かっていません。ですので、ここでは結論を急がず、あくまで想定案として示します。
3)古墳時代の冠の類例を探る・・・!
日本国内問わず、古墳時代の時期の朝鮮半島など東アジア地域には、金・銀色に輝く冠やその冠飾が存在し、5世紀ごろから使われるようになります。
東アジア地域の冠・冠飾の研究を行っている毛利光俊彦氏によるところの、尖縁式(せんえんしき)に相当すると思われます(毛利光俊彦1995「日本古代の冠-古墳出土冠の系譜-」『文化財論叢2』奈良国立文化財研究所)。
気になる冠の類例ですが・・・
今のところ、平林2号墳とまったく同じような金銅製の冠飾は今のところ確認できていません。そのため、冠飾と冠が本来どういったものだったのか。冠の製作地は日本なのか、朝鮮半島なのか、など多くの謎を秘めています。
いずれにしても、非常に薄い金銅の板を加工・装飾する技術は極めて高い技術をもった職人でなければ作ることができませんし、副葬品のなかでも冠は有力者と考えられる古墳にみられるもので、平林2号墳に埋葬された人物も相当の権力者であったことが想定されます。
今回は冠飾の概要説明がメインになってしまいましたが、まだまだ、わからないことだらけの資料です。これからも調査・研究を続けて参りますが、皆様も一つ一つ、謎を紐解いてみてはいかがでしょうか?
また、詳しくは2019年刊行の『研究紀要』35に掲載しておりますので、もしよろしければご覧ください。
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