トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 遺跡トピックスNO.0512「国指定史跡甲府城-浅野家金箔瓦-」
ページID:94793更新日:2020年5月20日
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〇織豊系城郭にみられる金箔瓦 金箔瓦というと豊臣秀吉もしくは大坂城を思い浮かべると思いますが、元祖は織田信長の安土城なんですね。金箔瓦の全盛期は、豊臣秀吉が天下統一をした天正18(1590)年以降、文禄年間(1592~95)で、全国で約50か所の城郭から出土しています。その大部分は織田・豊臣政権の中枢やその一門、有力大名の居城に限定されています。しかし、初期の徳川将軍家にも継承され、江戸城下の有力大名の屋敷からも発見されており、天下人たる正当な後継者という意味合いを持っていたものと考えられます。
〇甲府城の金箔瓦の分布と技法 金箔瓦は本丸周辺から全体総量の7割が集中して発見されています。主郭部に集中する特徴は、安土城の特徴と良く似ています。おそらく全ての建物には施さず、シンボル的な建物のみに配したと考えられます。金箔の貼り付け方としては、瓦の表面に赤目(朱を混ぜた)漆を塗布したものと、黒目(黒色の顔料などを混ぜた)漆を塗布したものがあり、その上に短冊状の金箔を貼っていた状況が確認できます。
主郭部に集中する金箔瓦
金箔瓦の分布
〇浅野家の家紋瓦に施された金箔 浅野家の家紋は「違鷹羽」であることはご存じの方も多いと思います。忠臣蔵でおなじみの浅野内匠頭長矩が身に付けていた衣装にも施されていたのを記憶している人もいるかと思います。この赤穂藩は、広島藩の分家になりますので、甲府城の城主は宗家の広島藩主とつながりがあります。 城内からはまさに浅野家が存在した証拠を示す家紋瓦が約200点発見されています。この量は、城の広さからすればとても少ないですが、城主が変わるたびに前任者の痕跡を消していくことを考えればよく残ったといえるでしょう。これらの中には、とてもきれいに成形された精製瓦と粗雑な作りの粗製瓦があります。金箔が施された瓦は、前者のものに限定されています。金箔の付着面に注目してもらうと盛り上がった凸部に施されていることがわかります。これは豊臣政権下の特徴の一つでありますので、甲府城の立ち位置が理解できる資料となります。 軒丸瓦の瓦当面 鬼瓦の一部 〇甲府城周辺の金箔瓦の特徴 上田城や松本城などの地方城郭では鬼瓦・鯱瓦など棟の飾り瓦のみに金箔が施されていますが、甲府城や小諸城では軒瓦にまで金箔が認められます。このことは関東(徳川家)に隣接する要衝地を意識したものかもしれません。駿府城では、織田政権下の金箔瓦が出土しており、織豊政権下の複雑な様相が垣間見えます。
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