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ページID:94793更新日:2020年5月20日

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遺跡トピックスNO.512「国指定史跡甲府城跡-浅野家金箔瓦-」

 

0039国指定史跡甲府城跡-石垣-

0043指定史跡甲府城跡-甲府城発掘展-

0069指定史跡甲府城跡-金箔瓦-

0119指定史跡甲府城跡-石垣補修工事(H19)-

0124指定史跡甲府城跡-稲荷櫓-

0127指定史跡甲府城跡-整備された城跡-

0129指定史跡甲府城跡-道路の下から追手門-

0141指定史跡甲府城跡-滴水瓦-

0146指定史跡甲府城跡-石垣補修工事(H20)-

0156指定史跡甲府城跡-石垣補修工事(H17)-

0161指定史跡甲府城跡-詰石-

0176指定史跡甲府城跡-矢穴-

0180指定史跡甲府城跡-甲府城展-

0183指定史跡甲府城跡-おもしろ講演会-

0189指定史跡甲府城跡-石垣石材の加工-

0198指定史跡甲府城跡-石垣補修工事(H21)-

0214指定史跡甲府城跡-石垣補修工事と石工技術の体験-

0225指定史跡甲府城跡-「昔覚ゆる甲府城-築城技術と甲州石工文化-」展の開催-

0232指定史跡甲府城跡-「昔覚ゆる甲府城-築城技術と甲州石工文化-」展の開催-

0244指定史跡甲府城跡-鉄門の再確認調査-

0257指定史跡甲府城跡-野面積み-

0261指定史跡甲府城跡-鉄門の石垣-

0278指定史跡甲府城跡-鉄門復元事業-

0283指定史跡甲府城跡-「昔覚ゆる甲府城展」の開催-

0285指定史跡甲府城跡-狭間-

0306指定史跡甲府城跡-お城の排水施設「暗渠」-

0295指定史跡甲府城跡-ひらけ!玉手箱-

0297指定史跡甲府城跡-石工道具-

0317指定史跡甲府城跡-慶長一分金-

0329指定史跡甲府城跡-数寄屋曲輪の地鎮祭-

0332指定史跡甲府城跡-発掘された甲府の城下町展-

0345指定史跡甲府城跡-「ひらけ!玉手箱~よみがえる鯱」展の開催-

0364指定史跡甲府城跡-石垣補修工事-

0369指定史跡甲府城跡-発掘された甲府の城下町~武田氏館と城下町-

0370指定史跡甲府城跡-鉄門の活用-鉄門イベント-

0378指定史跡甲府城跡-輪宝-

0389指定史跡甲府城跡-石垣-

0397指定史跡甲府城跡-石切場跡-

0403指定史跡甲府城跡-石垣-

0408指定史跡甲府城跡-石垣-

0412指定史跡甲府城跡-石垣の積み方-

0416指定史跡甲府城跡-本丸-

0418指定史跡甲府城跡-石垣の切れ目-

0420指定史跡甲府城跡-鏡石-

0249甲府城跡-県庁構内の遺跡-

0352甲府城跡-石垣普請-

0362甲府城跡-県庁構内(駐輪場)発掘調査速報-

0367甲府城跡-県庁構内(委員会室棟)発掘調査速報-

0456甲府城跡-山梨県庁の地下に眠る甲府城の遺構-

0487甲府城跡-石垣の移築復元-

0490甲府城跡-山梨県庁内に眠る敷石遺構-

0496甲府城跡-甲府城の追手門-

0506甲府城跡-稲荷櫓常設展の一部リニューアル-

 

 

〇織豊系城郭にみられる金箔瓦

金箔瓦というと豊臣秀吉もしくは大坂城を思い浮かべると思いますが、元祖は織田信長の安土城なんですね。金箔瓦の全盛期は、豊臣秀吉が天下統一をした天正18(1590)年以降、文禄年間(1592~95)で、全国で約50か所の城郭から出土しています。その大部分は織田・豊臣政権の中枢やその一門、有力大名の居城に限定されています。しかし、初期の徳川将軍家にも継承され、江戸城下の有力大名の屋敷からも発見されており、天下人たる正当な後継者という意味合いを持っていたものと考えられます。

 

〇甲府城の金箔瓦の分布と技法

金箔瓦は本丸周辺から全体総量の7割が集中して発見されています。主郭部に集中する特徴は、安土城の特徴と良く似ています。おそらく全ての建物には施さず、シンボル的な建物のみに配したと考えられます。金箔の貼り付け方としては、瓦の表面に赤目(朱を混ぜた)漆を塗布したものと、黒目(黒色の顔料などを混ぜた)漆を塗布したものがあり、その上に短冊状の金箔を貼っていた状況が確認できます。

 

甲府城跡金箔瓦分布1

主郭部に集中する金箔瓦

 

甲府城跡金箔瓦分布2

金箔瓦の分布

 

〇浅野家の家紋瓦に施された金箔

浅野家の家紋は「違鷹羽」であることはご存じの方も多いと思います。忠臣蔵でおなじみの浅野内匠頭長矩が身に付けていた衣装にも施されていたのを記憶している人もいるかと思います。この赤穂藩は、広島藩の分家になりますので、甲府城の城主は宗家の広島藩主とつながりがあります。

城内からはまさに浅野家が存在した証拠を示す家紋瓦が約200点発見されています。この量は、城の広さからすればとても少ないですが、城主が変わるたびに前任者の痕跡を消していくことを考えればよく残ったといえるでしょう。これらの中には、とてもきれいに成形された精製瓦と粗雑な作りの粗製瓦があります。金箔が施された瓦は、前者のものに限定されています。金箔の付着面に注目してもらうと盛り上がった凸部に施されていることがわかります。これは豊臣政権下の特徴の一つでありますので、甲府城の立ち位置が理解できる資料となります。

金箔軒丸瓦

軒丸瓦の瓦当面

金箔鬼瓦

鬼瓦の一部

〇甲府城周辺の金箔瓦の特徴

上田城や松本城などの地方城郭では鬼瓦・鯱瓦など棟の飾り瓦のみに金箔が施されていますが、甲府城や小諸城では軒瓦にまで金箔が認められます。このことは関東(徳川家)に隣接する要衝地を意識したものかもしれません。駿府城では、織田政権下の金箔瓦が出土しており、織豊政権下の複雑な様相が垣間見えます。

 

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