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ページID:95024更新日:2024年5月2日

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遺跡トピックスNo.0513曽利式土器編年北堀遺跡の肥厚帯口縁文土器

 

笛吹市の縄文時代遺跡

0019桂野遺跡-石皿・磨石-2005年9月21日~2005年9月28日

 

0100桂野遺跡-陥し穴-2007年6月21日~2007年6月26日

0111桂野遺跡-前期土偶-2007年9月12日~2007年9月18日

0262桂野遺跡-縄文時代前期の住居跡-2010年11月4日~2010年11月10日

0265桂野遺跡-土器に描かれた物語-2010年11月24日~2010年12月1日

0125水口遺跡-柄鏡形敷石住居跡(1号住居跡)-2008年1月16日~2008年1月23日

0355水口遺跡-敷石住居跡(3号住居跡)-2012年9月19日~2012年9月27日

0135花鳥山遺跡-エゴマ種子塊-2008年3月26日~2008年4月9日

0194花鳥山遺跡-縄文時代の食生活を知る遺物-2009年6月24日~2009年7月1日

0199花鳥山遺跡-世界最大級の縄文土器?-2009年7月29日~2009年8月4日

0406花鳥山遺跡-耳飾り-2014年11月26日~2014年12月09日

0466花鳥山遺跡-縄文時代のエゴマ-2017年7月5日~2017年7月19日

 

0155竜安寺川西遺跡-発掘調査速報2-2008年8月27日~2008年9月

0165竜安寺川西遺跡-発掘調査速報3-2008年11月5日~2008年11月11日

0179竜安寺川西遺跡-ミニチュア土器-2009年3月4日~2009年3月11日

0147境川中丸遺跡-発掘調査速報-2008年7月2日~2008年7月8日

0157境川中丸遺跡-発掘調査速報-2008年9月10日~2008年9月18日

 

0148一の沢遺跡-縄文時代中期の住居-2008年7月9日~2008年7月15日

 

0293一の沢西遺跡-ヒトをモチーフにした土器-2011年6月29日~2011年7月5日

0307一の沢遺跡-縄文土器-2011年10月05日~2011年10月12日

0350一の沢遺跡-みんなで応援しよう!「ミュージアムキャラクターアワード2012」のいっちゃん-2012年8月15日~2012年8月21日

0451一の沢遺跡の土偶いっちゃん2_2016年10月31日~2016年11月9日

0494一の沢遺跡の人体文土器~人をモチーフにした土器2-2019年5月13日~2019年5月27日

0151三光遺跡-発掘調査速報-2008年7月30日~2008年8月5日

0166三光遺跡-発掘調査速報5-2008年11月12日~2008年11月19日

0171三光遺跡-発掘調査速報6-2008年12月17日~2008年12月23日

0186三光遺跡-耳飾り他-2009年4月30日~2009年5月6日

0234御坂中丸遺跡-縄文時代早期-2010年3月24日~2010年4月27日

0354中丸東遺跡-縄文時代前期の土器と古墳時代の住居跡-2012年9月12日~2012年9月19日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甲府盆地の南側で、中央自動車道の建設に伴う笛吹市北堀遺跡の調査により、一軒の縄文時代住居跡が発掘されました。当時は合併する前の一宮町といい、ちょうど桃の絵がある団地のあたりです。大部分が平安時代の集落調査でしたがいくつか縄文の住居跡も発見されました。比較的小規模ですがまとまって出土した縄文土器はのちに曽利式土器の編年(土器の変遷を特徴によって年代順に分けること)を考える上で重要な位置づけとなるものでした。いわゆる曽利III式の標準とも思われる内容を示しているのです。
遺跡が発掘された当時、曽利式土器の編年は八ヶ岳山麓の遺跡資料を中心に進められ、古い順にI~V式に分けられていました。甲府盆地では釈迦堂遺跡の資料があるのですがまだ未公開でした。しかし釈迦堂遺跡の整理が進んでいくうえで八ヶ岳中心の資料による曽利式土器の編年は、甲府盆地の様子と異なっていてうまく合わないという問題が生じていました。北堀遺跡の曽利式土器はどのように編年に位置づけられていったのでしょうか。

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写真:北堀遺跡の肥厚帯口縁文土器

北堀遺跡の発掘でみつかる

発掘報告書によると北堀遺跡で44号住居と名付けられたところが縄文時代の住居跡でした。なかでもほぼ完全な形でみつかった土器は曽利式土器の特徴がよくわかるものでした。この土器は住居跡に浅く掘られた穴に埋め込まれるように見つかりました。胴体の下の方に5cm程度の楕円形に欠けていて、わざと打ち欠かれたような穴の可能性もあると報告されています。この時代には住居のへりに底を抜いた土器を埋めておく埋甕という風習が知られていて、この住居跡にも埋甕がちゃんとあります。これは埋設されていた埋甕ではありませんが、似たような出土のようすがみてとれました。
参考山梨県教育委員会1985年『北堀遺跡』山梨県埋蔵文化財センター調査報告第7集

美しいうずまき文土器

土器は、小さい底部からややふくらんでくびれながら開いていく器形となり、いわゆる深鉢形土器というものです。高さは約33cm、口径約30cmとなり、よくみられる一般的な大きさです。口縁部は平らなのですが六個の突起がついています。だいたい突起は四つが普通なのですが、一つの突起が二連になっていてこれが対になります。つまり縁の上では四単位ですがそのうちの二つが二連突起となっているめずらしい配置になっています。口縁部は二重にして厚く造られていているので円い窓が並んでいるようです。こうした窓には縁取りがついています。胴体には大きな渦巻き文様が描かれています。渦巻き模様のあいだは縦の線が密集して引かれています。とても端正で美しい渦巻き文様が特徴の縄文土器です。

東北の土器に似た甲府盆地の曽利式土器

土器の縁を厚くして小さな渦巻き文様がめぐるのは、曽利式土器の中でも突然出現します。胴体の大きな渦巻き文様もよくみると横にしたS字形になっています。そもそもはじめの曽利式土器には口縁部に文様はなく、無紋とするのが一般的でした。曽利II式になると、関東地方の加曽利E式土器の影響により無紋だった口縁部に渦巻文が描かれるようになります。次の曽利III式は、東北地方の大木式土器の影響により口縁部を厚くして胴部に大きな渦巻き文が描かれるようになり、この特徴をもってIII式と認定します。

甲府盆地の曽利式土器

細かい特徴はいろいろあるのですが、八ヶ岳南麓を中心に進められていた曽利式土器の編年は、このころ資料が増え始めていた甲府盆地では特徴が一致せず、釈迦堂遺跡の豊富な資料をもとに再検討されていました。とりあえず古い曽利式の特徴を持つものを曽利古式、関東・東北の影響を受けてきた曽利新式に分けて考えることにしていました。これ以後、甲府盆地での資料増加と八ヶ岳資料の再検討により、改めて曽利I~V式の特徴が明らかにされたので、今はこうした古式・新式という分け方をする研究者はほとんど見かけません。

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図:曽利式土器の編年表に位置づけられる北堀遺跡の土器

今福利恵2011『縄文土器の文様生成構造の研究』より

私がまだ学生の頃埋蔵文化財センターで発掘のアルバイトをしていたときのことです。八ヶ岳南麓の資料から先鋭的に曽利式土器の編年を再検討していて先輩職員が、この北堀遺跡にこんな曽利式土器があるぞと教えてくれました。そしてちょうど刊行されたばかりの北堀遺跡の報告書を差し出して、私にくれました。縄文時代中期の土器を勉強していた私はなかなか入手困難な発掘報告書を手にうれしくて何度も読み返したのを覚えています。そしてその3年後の1988年に刊行された全国的に縄文土器を集成した『縄文土器大観』3巻(小学館)にも曽利式土器の例として掲載され、全国的にも知られる土器になったのです。結果、北堀遺跡の土器は、曽利III式の特徴を持つ土器として編年に位置づけられました。

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写真:北堀遺跡の発掘調査報告書

 

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