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ページID:95225更新日:2022年7月12日

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遺跡トピックスNo.0514杣口金桜神社奥社地遺跡(山梨市)~考古学から式内社を考える~

山梨市の遺跡

  • 0037足原田遺跡-鞴の羽口-
  • 0046足原田遺跡-凸帯付三耳壷-
  • 0054延命寺遺跡-台付甕-
  • 0221足原田遺跡-食べ物-
  • 0296上コブケ遺跡B区-人面装飾付土器-
  • 0302上コブケ遺跡C区-発掘調査速報-
  • 0313上コブケ遺跡A・B・C区-発掘調査速報-
  • 0365上コブケ遺跡B区-県内の人面装飾付土器特集-
  • 0346上コブケ遺跡D区-発掘調査速報-
  • 0348上コブケ遺跡D区-発掘体験セミナー-
  • 0442上コブケ遺跡-さまざまな石鏃-
  • 0324廻り田遺跡B区-発掘調査速報-
  • 0325膳棚遺跡B区-打製石斧-
  • 0330膳棚遺跡A区-調査概要-
  • 0358膳棚遺跡D区-発掘調査速報-
  • 0368膳棚遺跡D区-発掘調査速報2-
  • 0373膳棚遺跡D区-遺跡紹介-
  • 0384上コブケ遺跡B区-人面装飾付土器の復原修復-
  • 0394上コブケ遺跡C区-ナイフ形石器-
  • 0440上野家住宅-虎口-
  • 0448隼遺跡-大黒窟と大士窟-
  • 0457隼遺跡の立地を地層からとらえる-
  • 0484上コブケ遺跡-入れ子状の埋甕-
  • 0509下河原遺跡-堤防痕-
  • 0503中島遺跡-土器に刻まれた「馬」-

杣口金桜神社(そまぐちかなざくらじんじゃ)とは

山梨市の旧牧丘町杣口(そまぐち)地区には杣口金桜神社が鎮座しています。寺社記や金石文等には仁寿年間(851-853)に創建されたとされています。奥社地跡は高天原といわれる旧社地であり、東西約100m、南北約200mの範囲が遺跡となっています。
金桜神社は甲府市にある金峰山頂の五丈岩(蔵王権現)の山宮に対して、甲府盆地の各山入口に里宮として祀られた神社です。杣口のほかには、山梨市歌田、山梨市万力、甲府市御岳などに同名の神社が鎮座していて、延長5年(927)にまとめられた『延喜式』神明帳には甲斐国20座のうちの一つとして金桜神社の記載があります(いわゆる延喜式内社)。但し、4つのうちいずれの神社が当てはまるかはわかっていません。今回の遺跡トピックスでは、杣口金桜神社が式内社に当てはまる可能性があるかどうか、考古学的な視点から見ていこうと思います。

所在地:山梨県山梨市杣口地内
時代:古代、中世、近世
報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第260集2009(H21).3刊行
調査機関:山梨県埋蔵文化財センター

杣口金桜神社周辺地図(国土地理院発行1/25000)

神社と寺院2つの性格を持った遺跡

杣口金桜神社奥社地跡では平成17、18年に発掘調査が実施され、20面以上のテラス(平坦面)や土留めの石積み、通路としての石段などが確認されました。これらのテラスはおもに東側部分と西側部分に大別され、それぞれの性格が異なっています。東側部分については中世から江戸時代にかけて大きな整備が2度行われた形跡がありました。また、拝殿や割拝殿(中央が吹き抜けの通路となっている拝殿の一種)の建物跡が発見されており、さらに現在も奥社殿が鎮座していることから神社域としての性格を持っていると言えます(神社関連の遺跡ではほかに韮崎市の苗敷山穂見神社の山頂遺跡があります)。一方、西側部分には12~13世紀の遺物を伴う須弥壇を備えた仏堂と思われる三棟の建物跡が確認されており、寺院域としての性格を持っていると考えられます。これらのことから、古代末~中世前期に寺院が盛衰して、神社のみが近世まで維持されたということが考えられます(神社は近世以降、杣口集落の北端に里宮として遷座しています)。

0514杣口金桜 遺構図

杣口金桜神社奥社地遺跡全体図

遺跡と「米沢寺」の関係性

杣口金桜神社に深いかかわりのある寺院として、米沢寺が知られています。米沢寺は康和5年(1103)に勧進僧の寂円が写経を書くために滞在した山寺とされています(国指定重要文化財である、勝沼柏尾山中から出土した経筒にその記載があります)。
しかしその後は史料に登場することはなく、所在地も不明です。現在、杣口金桜神社の里宮がある南側には、米沢山雲峯寺があります。雲峯寺は天台宗の寺院として仁寿元年(851)に杣口山中の高原に創建されたのち、一度の移転を経て現在地に移されたという記録があります。この米沢山雲峯寺という寺院の山号や旧所在地が高天原(高原に通じる)という点から、杣口金桜神社奥社地跡の西側テラス部分が米沢寺ではないかとする説もあります。


杣口金桜神社里宮


里宮に隣接している米沢山雲峯寺

今回見てきたように杣口金桜神社は、寺社記にある仁寿年間(851-853)創建という記述はさておき、少なくとも中世には寺院とともに神社が存在していたことが発掘調査により確認されました。ほかの3つの金桜神社については杣口金桜神社より由緒が遡る神社もありますが、考古学的な調査はまだ進んでいません。将来、発掘調査が行われ、杣口金桜神社が式内社の金桜神社と証明される日が来るのかもしれません。

 

 

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