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ページID:53774更新日:2017年6月6日
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山梨市の遺跡
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遺跡紹介遺跡名:膳棚遺跡(ぜんだないせき) 時代:縄文・平安 所在地:山梨市北地内 関連トピックス: 膳棚遺跡D区膳棚遺跡D区は昨年度、数度にわたって発掘調査速報を発信してきました。発掘調査は昨年度で無事に終了して、本年度は報告書刊行のための整理作業をおこないます。整理作業においても、引き続き新たな情報を発信していきます。 今回は昨年度、お伝えできなかった発掘調査での成果を発信します。 膳棚遺跡D区は平安時代後半の集落跡ですが、住居の周辺には人の頭よりも大きな石が大量に散っていました。これは、平安時代よりもずっと昔に流れていた川の石と考えられます。 こうした川原石がゴロゴロしていると、「人が住みにくいのでは」と考えてしまいますが、当時の人々はこの石を上手に利用して生活していたようです。 下の写真は9号住居跡の写真です。9号住居跡は平安時代末の遺構で、以前の速報で、合わさった坏(つき:おわんのこと)が出土した住居跡として紹介しました。 9号住居跡合わさって出土した坏(つき) 今回、注目すべき点は、床にある大きな石です。この石は推定で2t以上の重さがあり、竪穴住居を作った時点から、床にあったと考えられます。石は広く平らな面を持ち、子供であれば寝そべられるほどの大きなものですが、平らな面の一部が薄く変色しているのが見て取れます。 変色している部分は直径約15cmの円形となっています。この部分を触ってみると、非常にツルツルした手触りがして他の部分とは違うことが分かります。この感触から、おそらく何かを磨(す)った跡だと考えられますが、何をしていたのかは分かりません。 かまどに近い場所にあることから、食べ物を磨って粉にしていたのでしょうか。あるいは中央に小さな穴が空いていることから、ここに軸を差し込んで、ロクロのようなものを使用したのでしょうか。 膳棚遺跡の人々は、石がたくさん転がっている環境の中で、上手にそれを利用して共存していたことが伺えます。 |