山梨の歴史(明治34年(1901)~44年(1911))
明治34年(1901)
1月
2月
- 山梨県連合医会創立
- 内藤伝右衛門の母満寿没(79)
3月
4月
- 初代県会議長近藤喜則没(70)
- 甲府商業、谷村エ商、日川中学校創立
8月
- 上野原駅開通式
- 知事加藤平四郎から石原健三にかわる
- 山梨工銀行株券偽造事件発覚
12月
明治35年(1902)
1月
4月
- 大降霜
- 県立甲府高等女学校創立
- 元断金隊士歌田靱雄没(49)
5月
8月
- 選挙法改正により衆議院議員本県定員を5名となる
- 第7回衆議院議員総選挙に広瀬久政、望月小太郎、長沢市蔵、薬袋義一、佐竹作太郎当選(10日)
10月
12月
この年山梨蚕種、山梨生糸、山梨葡萄栽培各同業組合設立
明治36年(1903)
1月
2月
- 知事石原健三千葉へ転じ、大山網昌知事となる
- 代議士薬袋義一没(53)
3月
- 第8回衆議院議員総選挙に広瀬久政、望月小太郎、長沢市蔵、菊島生宜、佐竹作太郎当選(1日)
5月
6月
- 中央線八王子-甲府間開通、祝賀式と笹子隧道記念碑除幕式が行われる
7月
8月
10月
12月
明治37年(1904)
1月
2月
- 総選挙立候補中の望月小太郎、ロシヤのスパイと見られ、峡北演説会場で逮捕
《日露戦争はじまる(4日)》
3月
- 第9回衆議院議員総選挙に根津嘉一郎、広瀬久政、天野薫平、望月小太郎、佐竹作太郎当選(1日)
4月
- 甲府城跡を開放して舞鶴公園と称す
- 県立農林学校創立
6月
10月
12月
明治38年(1905)
2月
3月
4月
8月
- 日露講和条約反対県民大会を舞鶴公園に開く
- 織物税徴収をめぐつて谷村に騒擾起きる
- 知事大山綱昌長野に転じ、武田千代三郎知事となる
- 県立工業試験場設置
11月
- 草薙社製糸部にストライキ起こる、参加者900人以上
明治39年(1906)
3月
6月
7月
10月
- 横山館を甲府城跡に建設
- 1府9県連合共進会を舞鶴公園と太田町公園で開催
- 西園寺首相ら入峡
- 甲府市内で電話開通祝賀会
- 山梨鉄道馬車会社、山梨軽便鉄道会社と改称し、甲府-鰍沢、甲府-石和間を運転
11月
明治40年(1907)
2月
8月
- 富士山電話開通式
- 全県下に大水害(死者233人、破壊流出家屋11,943戸、田畑流出・水没6,000町歩)
9月
11月
明治41年(1908)
1月
- 社会主義者片山潜入峡
- 社会主義同志会甲州支部設立
- 元知事藤村紫朗没(64)
4月
- 英和幼種園開設
- 辻秀造「山梨毎日新聞」を創刊
- 第1回北海道移民第1陣甲府駅を出発
5月
- 第10回衆議院議員総選挙に天野董平、森国造、佐竹作太郎、根津嘉一郎、手塚正次当選(15日)
- 市川文蔵、貴族院議員に当選
6月
7月
11月
明治42年(1909)
2月
- 男爵富岡敬明没(88)
- 甲府ガス会社創立
- 若尾銀行内に甲府商業会議所設立
4月
7月
- 輪転機はじめて甲府に入る
- 甲府琢美小学校に盲人教育所開く
8月
11月
- 上野原町に大火、全焼200戸余り
- 甲府市上水道起工式
明治43年(1910)
1月
3月
5月
6月
8月
11月
- 林野警察設置
- 県会で御料林無償交付に関する意見書を決議
明治44年(1911)
1月
3月
- 帝室御料林298,000町歩を下賜、恩賜林感謝県民大会を開く
4月
5月
- 中央線新宿~名古屋間全通祝賀式を甲府(横山館)と名古屋で挙行
6月
8月
- はじめて活動写真常設館「甲府館」できる
- 神官輿石守郷没(75)
9月
- 恩賜県有財産管理規則を公布
- 元代議士田辺有栄没(67)
10月
11月
12月
- 青州文庫主渡辺信没(72)
- 大井憲太郎ら入峡
- 神金村萩原山の恩賜林を東京都に売却