ここから本文です。
山梨の歴史(大正8年(1919)~14年(1925))
大正8年(1919)
2月
4月
- 知事山脇春樹三重県に転じ、長野幹知事となる
- 県社武田神社創建
9月
10月
大正9年(1920)
2月
3月
5月
- 第14回衆議院議員総選挙に飯島信明、穴水要七、望月小太郎、三枝彦太郎、若尾璋八当選(10日)
- 身廷鉄道身延駅開業甲府太田町公園に付属動物園を開設
8月
- 盛里、道志両村に山崩れ、家屋流失60余戸、死者29名
9月
- 七里村下於曽の小作人約70名、下於曽農民組合を結成
10月
11月
- 精進、本栖両湖を中心として富士山麓保勝会設立
- 山梨県蚕業組合連合会生まる
- 富士川改修
大正10年(1921)
7月
9月
10月
- 韮崎署員40名、俸給5割増額要求
- 根津啓吉貴族院議員に当選
- 舞鶴公園において政友会関東大会
- 原首相入峡
- 元知事前田正名没(72)
- 鶏飼橋竣工
大正11年(1922)
1月
2月
- 甲府城で普選促進大演説会
- 社会主義者堺利彦ら塩山町の演説会を暴力団に押しつぶされる
- 元県会議長野口英夫没(67)
- 国粋会山梨県本部結成
6月
- 首切りに反対して南都留郡宝銅山従業員ストライキ決議
- 大海原重義知事となる
9月
- 県立身延、韮崎両中学校創立
- 名取忠愛、甲府市長に当選
- 恩賜林謝恩碑除幕式
10月
- 東宮殿下行啓
- 樋口一葉碑を大藤村に建つ
- 給料不払のため七保村教員ストライキ
12月
- 盲唖学校の先駆者塚原等没(69)
- この年甲府革新党結成、中巨摩都に続々と農民組合結成される
大正12年(1923)
2月
3月
4月
- 県立巨摩、都留両高等女学校、峡南農工学校を創立
- 谷村工業に商科を置き、商工学校と改める
6月
- 近代的労組として初めて山梨交通、山梨軽便鉄道労組結成
9月
- 小林八右衛門、貴族院議員に当選
- 《関東大震災発生、死者約9万9千人(1日)》
- 元代議士菊島生宜没
10月
12月
大正13年(1924)
2月
4月
5月
- 第15回衆議院議員総選挙に若尾璋八、田辺七六、竹内友次郎、望月小太郎、藤田胸太郎当選
6月
- 甲斐山岳会発会
- 知事梅谷光貞長野県に転じ、本間利雄知事となる
- 実業家栗原信近没(81)
7月
8月
10月
11月
- 甲府電車軌道株式会社設立(昭和4年山梨電気鉄道会社と改む)
- 古屋貞雄ら山梨県農民組合連合会を組織
- 地方病撲滅10カ年計画樹立
- 甲府駅焼失
大正14年(1925)
4月
- 知事本間利雄免官となり、黒瀬弘志知事となる
- 舞鶴公園で普選法案通過県民祝賀大会開催
- 富士岳麓開発地貸什規則を設く
- 元貴族院議員広頼和育没(77)
8月
- 知事黒瀬弘志、神戸市長就任のため辞職し、三邊長治知事となる
9月
10月
12月
- 県下の青年党を一丸に山梨青年党連盟結成
- 飯野村に初の婦人農会誕生
- 手塚正次没(50)
- 乗合自動車競争激化す
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください