山梨県の歴史(明治元年(1868)~11年(1878))
明治元年(1868)
3月
《戊辰戦争》
- 東山道総督参謀板垣退助ら甲府城を占領、幕軍近藤勇ら勝沼に戦って敗走
- 東海道総督海江田武次旧甲府勤番支配役所に入って国事を代理
- 東海道副総督柳沢前光入峡して官員職制を定める
- 甲府城代に水野出羽守、甲府町奉行に中山誠一郎を任命
- 断金隊組織
4月
- 幕軍遊撃隊長林昌之介ら御坂峠をこえ黒駒村に迫る
- 元甲府勤番岩田常次郎らの甲府城奪還計画暴露
5月
- 一国鎮撫政務裁決として柳原前光再び入峡
- 甲府城代並びに町奉行を廃し、新たに町差配を置く
6月
- 甲斐鎮撫府を置き、柳原前光を鎮撫使とする
- 若尾逸平、風間伊七ら4人金千両を鎮撫府に献ずる
- 護国隊組織
7月
8月
- 甲府、市川、石和の三部代官を三部知県事とし、赤松成充(府中)成沢弘道(市川)石田広和(石和)を任命
- 河口浅間神社神職、隆武隊を編成
10月
- 鎮撫府を廃して甲斐府を置き、滋野井公寿を知事、土肥実匡を権知事に任命
11月
明治2年(1869)
5月
- 諸関所を廃止
- 磔刑、火刑を廃止
- 新倉堀抜功績者永島安竜光長没(69)
7月
- 甲斐府を廃し甲府県と改め、正権知事をおく
- 市政局、郡政局県庁に合併
- 甲斐入塩社設立
8月
10月
11月
明治3年(1870)
4月
5月
6月
9月
10月
11月
明治4年(1871)
3月
4月
5月
- 新貨条例により両、分、朱の名称を廃し、円を単位とする
- 暴風雨、国中を襲い被害甚大
6月
7月
8月
10月
11月
- 大嘗祭斉殿、甲府県に選定される
- 甲金の名称を廃止
- 甲府県を山梨県に改め(山梨県の誕生)、土肥実匡県令となる
12月
明治5年(1872)
1月
2月
3月
4月
7月
- 捕亡吏屯所を各地に置く
- 甲府に郵便役所生まれる
- 内藤伝右衝門「峡中新聞」を創刊
8月
- 学制発布
- 大小切税法廃止に反対し、騒動起る
- 栗原、万力筋の農民ら県庁に迫る
- 郡中総代を廃し事務を各戸長に移す
- 陸運会社設立
9月
- 県庁内に山梨裁判所を置き司法、行政を二分する
- 県下各地に新聞解話会を置く
10月
- 各区正副戸長を廃して正副区長を選挙し、各村の名主、長百姓を廃して正副戸長を選挙する
- 谷村に裁判所を置く
- 若尾逸平ら甲府上水道のため荒川流水取入水路を開削
- 甲府市中に振徳、善誘、本立の3小学校を仮設する
11月
- 太陽暦を発布(この年11月3日をもって明治6年1月1日とする)
- 県内学区総取締並びに取締を任命
明治6年(1873)
1月
- 徴兵令布告
- 県令土肥実匡を免じ、藤村紫朗を県権令に任命
4月
- 市町村伍組編成法並びに区戸長公選法を発布
- 「峡中新聞」を「甲府新聞」と改め、はじめて鉛活字を用いる
- 名取彦兵衝、製糸機械の発明に対し大蔵省より受賞
- 「物産富殖の告諭」を発する
5月
- 徽典館を開智学校と改める
- 谷村支庁を廃す
- 生糸改会社設立
7月
8月
この年一蓬寺境内1万700余坪を公園として計画。小学校の設立、開業進む
明治7年(1874)
1月
2月
- 甲府へ梁木、琢美両小学校建設
- 県庁内で御真影を拝覧させる
3月
4月
5月
10月
- 藤村権令を県令とする
- 甲府に勧業製糸場完成
- 甲府城内に博覧会開催
明治8年(1875)
1月
3月
- 内藤満寿、女学塾を創設
- 国学者五百住巨川没(47)
4月
- 山宮から引水の甲府上水道工事に着手
- 甲州枡の名称を廃止
8月
10月
- 旧幕臣真下晩春没(71)
- 大菩薩峠を改修
- 甲府城の城池を埋立て新市街をつくる
この年参事富岡敏明、名東県令(今の徳島県)に転じる
明治9年(1876)
2月
- 甲府上水道竣工
- 「甲府新聞」を「甲府日日新聞」と改める
3月
4月
5月
6月
- ドクトル・イビー南部に入り、初めてキリスト教を伝道
- 甲府城内に勧業試験場を建設
8月
9月
- 巨摩郡鍋山村に地租改正への不満の声高まる。甲府盆地一帯に水害。
10月
11月
- 県会条例並びに県会規則を発布
- 弁達会社・甲府常盤町に開業
- 甲府裁判所落成
- 山林原野官民有区分法発布
明治10年(1877)
1月
2月
- 甲府ほか3カ所へ警察署、石和ほか15カ所へ同分署設置
4月
5月
- 7日から2週間、甲府太田町一蓮寺で第1回県会を開く
6月
7月
8月
9月
- 甲府太田町公園で、西南の役戦没軍人(42名)の招魂祭を行う
10月
- 祝村の土屋竜憲と高野正誠、ぶどう酒醸造研究のためフラソスヘ留学(1879年帰国)
11月
この年甲府城内にぶどう酒醸造所を設ける。国産奨励のため自愛社を設立。
山梨郡菱山村三森忠左衛門、富士風穴に初めて蚕種を貯蔵
明治11年(1878)
7月
- 府県会規則、地方税規則、郡区町村編成法を公布
- 「生読新聞」発刊
9月
- 女子師範学校設立
- 内藤伝右衛門「をとめ新聞」を創刊
- ドクトル・イビー再び甲府に入り、桜町に英学塾を開く
11月
12月