山梨の歴史(明治23年(1890)~33年(1900))
明治23年(1890)
3月
5月
府県制公布。
6月
7月
- 第1回衆議院議員総選挙施行、八巻九万、田辺有栄、古星専蔵当選(1日)
- 山梨農会設立
- 蓄音器始めて甲府に入る
8月
9月
- 政社法施行により山梨政社結成
- 東京帝大教授星野恒史料調査のため来県
10月
- 県に警察部を設置
- 甲府始審裁判所を甲府地方裁判所と改める
- 《濃尾大地震発生、死者7,466人(28日)》
11月
明治24年(1891)
3月
- 笛吹治水協会設立
- 御岳新道保存会設立
- 1市9郡に警察署を設置
4月
6月
8月
9月
- 河原部村、県下初の町制を布き韮崎町となる
- 各郡会いっせいに開く
10月
- 県制施行
- 複式選挙による第1回県会議員選挙行なわれる
11月
- 知事と県会対立し、県会大混乱、中島知事排斥運動起こる
12月
明治25年(1892)
2月
- 第2回衆議院議員総選挙。浅尾長慶、薬袋義一、加賀美嘉兵衛が当選(15日)
- 民党に対する干渉頻発
- 板垣退助三たび入峡、甲府、鰍沢で民党応援の大演説
- 若尾逸平ら甲府商工談話会を組織
4月
- 県会議員代表上京、内務大臣らに中島知事追放を要求
- 県内各地に知事弾劾演説会開催
6月
7月
- 望仙閣において鉄道敷設法案通過祝賀大会
- 薬袋代議士の桜座における議会報告演説会大混乱におちいる
- 甲府市会、全市の巡査駐在所費全廃を決議
8月
9月
10月
- 大小切騒動殉難碑を恵林寺に建つ
- 樋口一葉「経づくえ」を「甲陽新報」に連載
11月
明治26年(1893)
3月
4月
5月
- 改進党員島田三郎、自由党松田正久ら入峡、県下を遊説
- 若尾貯蓄銀行創立
7月
10月
- 自由党山梨支部結成、本部より河野広中出席
- 甲府電灯会社創立
11月
- 甲府電灯会社より吉沢発電所許可方を申請、県に該当すべき法規なく戸惑う
12月
- 第十国立銀行との間で県経済に属する収支一切の現金取扱嘱託契約を結ぶ
- 民権運動家神山亮没(36)
- 若松座焼失
- 山梨改達会社馬車部より諏訪-吉野間、鰍沢-差出磯間馬車鉄道を出願
明治27年(1894)
2月
3月
- 第3回衆議院議員総選挙に斉藤卯八、依田道長、加賀美嘉兵衛当選(1日)
- 甲府常盤町の知事官邸焼く
- 山梨馬車鉄道会社成る
7月
《日清戦争勃発(23日)》
8月
9月
- 第4回衆議院議員総選挙に石原彦太郎、依田道長、加賀美嘉兵が当選(1日)
- 日清戦争はじまる。
11月
12月
- 西八代郡豊富村鳥居原狐塚古墳から「赤烏元年在銘四神四獣鏡」出土
- 「なまよみ新聞」創刊
- 山梨教育会「山梨教育」を創刊
明治28年(1895)
6月
9月
11月
- 樋口一葉の「たけくらべ」出る
- 養蚕教習所(石和蚕業学校)創立
- この年コレラ、天然痘流行
- 北都留甲斐絹同業組合設立
- 日清戦争おわる
- 天理教甲府分会堂設立
明治29年(1896)
5月
- 中央線の停車場は上野原、鳥沢、大月、笹子日影、初鹿野、甲府、竜王、韮崎、日野、鳥原の11カ所と内定
6月
7月
8月
10月
11月
- 身延鉄道株式会社創立計画成る
- 作家樋口一葉没(25)
12月
- 甲府電灯会社、発電所を芦川に変更
- 若尾銀行設立
- この年南都留郡立染織学校開く。
明治30年(1897)
5月
6月
- 山梨馬車鉄道会社設立認可
- 広済和育、貴族院議員に当選
- 甲府魚市場開業
8月
10月
11月
- 徴兵問題にからんで、南都留郡長八代駒雄自殺(58)
- この年一瀬桑世に出る
- 夏から秋にかけて全県下に赤痢大流行、患者7,000人に達する
明治31年(1898)
1月
3月
- 第5回衆議院議員総選挙に河口善之助、小林七朗、薬袋義一当選(15日)
4月
5月
- 甲府商業銀行創立
- 山梨馬車鉄道、甲府-勝沼間営業開始
6月
7月
8月
- 第6回衆議院議員総選挙に河口善之助、斉藤卯八、秋山元蔵当選(10日)
- 「峡中沿革史」著者、望月直矢没(38)
9月
10月
明治32年(1899)
1月
3月
- 府県制、郡制等の一部を改正、県会議員選挙を直接選挙とする
- 憲政本党山梨支部結成。
4月
5月
8月
9月
10月
11月
12月
この年ぶどうの害虫駆除のため、はじめてボルドー液撒布法を指導。
明治33年(1900)
2月
3月
5月
- 芦川発電所送電を開始し、甲府市川大門にはじめて電灯をつける
- 元山梨県大参事富岡敬明、男爵となる
9月
- 都留馬車鉄道開業
- 猿橋落成式
- 斉木逸造ら「甲斐新聞」を創刊
10月
11月
12月