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ページID:87409更新日:2018年10月5日
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曽根丘陵公園の遺跡 |
写真1国指定史跡銚子塚古墳附丸山塚古墳 遺跡の内容銚子塚古墳は、山梨県立考古博物館の西側、日本庭園のさらに西側奥に存在しています。全長169mの前方後円墳(写真1の左上)です。隣接する丸山塚古墳(写真1の真ん中)とともに、昭和5年に国史跡に指定されました。その後、確認調査と保存整備が行われ、現在の姿となりました。 今から約1600年前に造られた銚子塚古墳はお墓です。お墓なので、埋葬する部屋や副葬品(ふくそうひん)、古墳の周りを飾っていた埴輪や木製品などがたくさん発見されました。ここで、とりあげた立柱は、史跡を保存整備するための確認調査で発見されたものです。
所在地:山梨県甲府市下曽根町 時代:古墳時代前期 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第35集・195集・228集・239集・253集 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター
参考遺跡トピックスNo.28・40・45・96・103・110・159・318・335・374・407 0028保存修理事業1、0040保存修理事業2、0045保存修理事業3、0096立柱、0103木製品、0110火きり板、0159木、0318鼉龍鏡、0335立柱2、0374壺型埴輪、0407突出部と周濠区画帯、0421木製祭祀具 立柱については、No.335の第2弾です。 写真2古墳西側の周濠内に復元された立柱(10月2日撮影)
平成19年度に整備された立柱 立柱は、平成16年度の確認調査で発見されたものです。発見当時は地中に埋まった状態でした。直径20センチ・長さ90cmほどの大きさで、後円部西側墳端の土坑から発見され、その中にはたくさんの石があり、柱が倒れないよう周囲を石で支えているようでした。現在の立柱は、平成19年度に復元整備したもので、コンクリート基礎の中に石を詰めて柱を固定しています。 H16年度調査10号トレンチ 立柱出土状況
立柱は、墳丘と周濠の境あたりに立てられていました。地上に出ていた部分は長い年月の間に朽ちてしまい、どのくらいの高さで、どのように使われていたかはわかりません。しかし、埋まっていた部分は、水と泥で密封されたため、しっかり残っていました。朽ちた部分は、割れたのか、折れたのかわかりませんが、残る部分が地下に埋まっていたことは確かです。土に埋まっていた部分を基礎と考え、基礎1:地上3の比率が建築考古学の考えから妥当とされ、地上に約2m70cmの高さにしました。 しっかり残るちょうなの痕 青空に映える立柱 立柱は、墳丘から周濠に20カ所ほど設置したトレンチの1か所で発見されました。奈良県の纏向石塚古墳から発見された木柱は、直径22cm・長さ2m56cmです。復元した立柱も近い長さとなっています。立柱が1本の柱であるのか、複数で建物のようになるのかわかりませんが、銚子塚古墳から柱状の木製品が出土した事実を、野外展示として復元整備しています。 平成19年(2007)9月14日に復元整備されてから、平成30年(2018)10月2日(写真撮影日)で11年目となりましたが、腐食など大きな劣化はみられません。樹齢150年ほどの杉材から手作業でつくりあげた柱です。10年たってちょうなの加工痕もまだ、しっかり、観察することができます。銚子塚古墳の墳頂に上って風景を見渡す前に、周濠を一周して古墳の大きさを体感したり、立柱・突出部などの復元・案内板での解説を読むなど、秋の風を感じながら探索するのはいかがでしょうか?
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