トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 遺跡トピックスNo.0474国指定史跡銚子塚古墳の鏡
ページID:83128更新日:2017年12月1日
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曽根丘陵公園のトピックス
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遺跡概要国指定史跡銚子塚古墳は、甲斐銚子塚古墳とも呼ばれ、古墳時代前期の四世紀に築造された前方後円墳です。全長は169m、後円部の高さ15mと東日本では最大級の規模を誇ります。 後円部にある石室は、真北を指向して、さらには多量の朱が使われたことがわかっています。副葬品として銅鏡5面、勾玉、管玉、車輪石、鉄剣、鉄刀などが出土しています。 石室における埋葬頭位(北枕)や多量の朱の使用、鏡の埋納などは、中国の神仙思想に影響を受けた畿内の古墳から始められる葬送儀礼にもとづくものです。
遺跡名:国指定史跡銚子塚古墳附丸山塚古墳 所在地:甲府市下曽根(曽根丘陵公園内) 時代:古墳時代前期 調査機関:山梨県埋蔵文化財センターほか 年譜 昭和3年:石室発見 昭和5年:国史跡に指定 昭和41年:墳丘・石室の調査 昭和58年~昭和63年:史跡整備にともなう第1次調査 平成13年~平成17年:史跡整備にともなう第2次調査 内行花文鏡銚子塚古墳からは5面の鏡が出土しています。 このうち、内行花文鏡は舶載鏡といい、中国で漢代に造られ、日本にもたらされたものです。 漢代の舶載鏡は、この中道地域の他、東日本では数カ所の古墳からしか出土しておらず、当時、この中道地域が、非常に重要な地域であったことをうかがわせます。 鏡の文様の構図は、古代中国の宇宙観を映し出しています。天と大地を重ねあわせて描いているのが特徴です。それぞれの文様が何をあらわしているのか一つずつ見ていきます。
内行花文鏡は、おもに以下のような文様から成り立っています。 鈕(ちゅう) 四葉文(しようもん) 連弧文(れんこもん) 雲雷文・雲雷文帯(うんらいもん・うんらいもんたい) (注) 鈕(ちゅう)・四葉文(しようもん)(注) まず、真ん中の部分です。中心には半円球状の鈕と呼ばれる紐をとおすためのパーツがあります。これが何をあらわしているかというと、大地の中央にあるといわれている神話上の山、崑崙山(こんろんさん)と蓮の花托(花の付け根)を意味しています。 その外側には四葉文という花弁のような文様があります。これは、蓮の花弁と考えられています。蓮の花は、天の中心にある星座で天帝の住む天極(北極星)を表現しています。 連弧文(れんこもん)(注) 四葉文の外側に弧をつなげた文様があります。頂点を数えると8つあるのがわかります。 中国では、8本の柱が天を支えていると考えられており、それぞれの頂点はその柱をあらわすのと同時に「天」の9つの領域をあらわしています。 九天のイメージ曽布川2014p41
雲雷文・雲雷文帯(うんらいもん・うんらいもんたい)日周運動 (注) さらに連弧文の頂点の外側に小さい丸い装飾があるのが見えますが、雲雷文とよばれています。雲雷文をつなぐように雲雷文帯があしらわれています。この部分は天の運行を示すと考えられています。写真の日周運動によく似ています。
このように中国における宇宙を上から俯瞰し、「天」と「地」をオーバーラップさせた天地の構造を示しているのが、この鏡の文様です。立体的に宇宙を描いているのがその特徴になります。
結び中国では、漢代において、鏡の構図はそれまでの呪術的なものから天文的な宇宙の概念図を描くようになります。 日本において、銚子塚古墳が造られた四世紀には、まだ中国で見られるような宇宙観を持つに至ってはないようです。 鏡に描かれているような天の概念を日本でも独自に解釈して持つようになるのは、古墳時代終末期まで待たなければなりません。
参考文献:曽布川寛「漢鏡と戦国鏡の宇宙表現の図像とその系譜」黒川古文化研究所紀要(13),2014
(注)参照元:東京国立博物館研究情報アーカイブスhttp://webarchives.tnm.jp/を加工
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