北杜市の遺跡
〔番号〕〔遺跡名〕-〔テーマ〕-〔トップページ掲載期間〕
0002甲ッ原遺跡-埋甕-2005年5月25日~2005年6月1日
0009横針前久保遺跡-石器-2005年7月13日~2005年7月19日
0018金生遺跡-中空土偶-2005年9月14日~2005年9月20日
0031天神遺跡-硬玉製大珠-2005年12月14日~2005年12月21日
0050天神遺跡-石匙-2006年5月24日~2006年6月8日
0236天神遺跡-日本最古のヒスイのペンダント-2010年5月6日~2010年5月12日
0336天神遺跡-集落跡-2012年5月2日~2012年5月8日
0057丘の公園第2遺跡-石器-2006年7月19日~2006年7月25日
0134丘の公園第2遺跡ほか-陥し穴-2008年3月19日~2008年3月26日
0075原町農業高校前遺跡-縄文土器-2006年12月13日~2006年12月20日
0076原町農業高校前遺跡-縄文土器-2006年12月20日~2006年12月28日
0109原町農業高校前(下原)遺跡-陥し穴-2007年8月29日~2007年9月4日
0115原町農業高校前遺跡-人面装飾付土器-2007年10月18日~2007年10月24日
0137原町農業高校前遺跡-人面装飾付土器-2008年4月23日~2008年4月29日
0094清里バイパス第1遺跡-陥し穴-2007年5月9日~2007年5月16日
0112海道前C遺跡-人面装飾付土器-2007年9月19日~2007年9月26日
0254海道前C遺跡-抽象文土器-2010年9月8日~2010年9月14日
0138甲ッ原遺跡-縄文時代前期初頭の住居-2008年4月30日~2008年5月7日
0142金生遺跡-耳飾り-2008年5月28日~2008年6月4日
0169甲ッ原遺跡-石皿とすり石-2008年12月3日~2008年12月10日
0212甲ッ原遺跡-琥珀垂飾について-2009年10月28日~2009年11月5日
0294甲ッ原遺跡-漆が塗られた土器片-2011年7月6日~2011年7月12日
0405甲ッ原遺跡-特殊脚付鉢-2014年10月29日~2014年11月25日
0226塩川遺跡-中世の調理器具-2010年2月17日~2010年2月24日
0237酒呑場遺跡-マメの圧痕-2010年5月13日~2010年5月18日
0308酒呑場遺跡-火焔型土器-2011年10月12日~2011年10月19日
0316酒呑場遺跡-産まれる縄文人-2011年12月7日~2011年12月12日
0319酒呑場遺跡-海へのあこがれ-2011年12月28日~2012年1月4日
0239甲ッ原遺跡-縄文時代前期初頭の住居跡と土器-2010年5月26日~2010年6月1日
0271金生遺跡-鉄釉兎形水滴-2011年1月5日~2011年1月11日
0272中込遺跡-絡条体圧痕文土器-2011年1月12日~2011年1月18日
0315郷蔵地遺跡-敷石住居-2011年11月30日~2011年12月6日
0323金生遺跡-縄文ランドスケープ-2012年1月25日~2012年2月1日
0328酒呑場遺跡-酒呑場遺跡で見つかった『謎』の土器片-2012年2月29日~2012年3月6日
0399酒呑場遺跡-豊かな縄文時代中期文化を代表する683点の出土品-2014年8月6日~2014年8月19日
0338柳坪遺跡-縄文時代中期の土器-2012年5月15日~2012年5月24日
0377丘の公園14番ホール遺跡-長大な石槍で狩りをする人々の15000年前の石器作り工房跡-2013年7月24日~2013年8月7日
0380日影田遺跡-住居跡と炉-2013年9月11日~2013年9月26日
0423横森赤台遺跡-五輪塔を伴う中世のお墓-2015年8月20日~2015年9月1日
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所在地 北杜市須玉町
主な時代 縄文時代~近世
報告書 山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第70集
調査主体 山梨県教育委員会
1.塩川遺跡について
塩川(しおかわ) 遺跡は北杜市須玉町の県道23号(通称:穂坂路ほさかじ )を北へ登った場所で、塩川に削られた、奥秩父山脈の中腹の渓谷に所在します。塩川は昔から大雨で氾濫し、下流において水害をもたらしていたことから防災のために塩川ダムの建設が計画されました。この計画により塩川遺跡がダムの底に沈んでしまうため、平成元年に大規模な発掘調査が行われた結果、10軒の縄文時代の竪穴住居跡や中世の竪穴状遺構、100基以上の江戸時代の墓など幅広い時代の遺構や遺物が見つかりました。
塩川遺跡の調査風景
2.江戸時代の墓
塩川遺跡は旧塩川集落内にあり、地元では江戸時代ごろの墓があることが知られていました。そこで発掘調査の前に約20体の遺骨を新墓地に移転しましたが、いざ調査を進めていくと104基もの墓が新たに見つかりました。これらの墓は大きく分けると、直径1mほどの円形に掘られ、あぐらをかいて墓穴の中で座らせているもの(座葬(ざそう )と、幅1m70cmほどの楕円形の穴に、体育座りのような体勢で寝かせているもの(寝葬(しんそう )の二種類があります。全体的には穴の中で座らせる座葬が主流です。
あぐらで座らせて埋葬された遺体(座葬)
体育座りのような体勢で寝かされて埋葬された遺体(寝葬)
また遺体を寝かせる方向について分析したところ、表のようになり、座葬の場合は北に向けて座らせ、寝葬の場合は頭を北にして西を向かせて寝かせる墓が多く見られました。これは現在でも言われている「北枕」が影響していると考えられます。お釈迦様がなくなられた際に、頭を北にした西向きの姿勢であったことから、仏教では人が亡くなると、「北枕」の姿勢をとらせることが多いのです。
江戸時代の墓は県内でも数例が発見されており、甲府市中道町の米倉山B遺跡や大月市賑岡町の安楽寺東遺跡などでも調査しています。同じ北杜市市内ではあまり見つかっていませんが、高根町の横森赤台遺跡で発見された中世の墓では、塩川遺跡と同じように頭を北にした西向きの寝葬が圧倒的です。北杜市域では、中世以降の頭を北にして顔を西に向けた埋葬姿勢が受け継がれていたのかもしれません。
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