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ページID:98922更新日:2021年3月26日
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所在地:北杜市武川町
事業名:圃場整備事業
調査期間:令和2年5月18日~令和3年3月31日
調査面積:約50,000㎡
時代:縄文時代・弥生時代・平安時代~近世
調査主体:北杜市教育委員会
中山工区内遺跡は、北杜市武川町から白州町にまたがる中山の東側の山腹に広がる8つの遺跡群の総称で、圃場整備工事に先行して平成30年度から発掘調査をおこなっています。
中山の東には牧原という地名が残り、山裾に立地する宮間田遺跡から「牧■」と墨書きされた土器が出土したことから、周囲は平安時代に営まれた国営の馬の牧場「真衣野牧」の比定地となっています。
これまでに縄文時代、弥生時代、平安時代から近世までの遺構・遺物が発見されていますが、その中心は平安時代と中世の集落跡で、特に平安時代の炭窯跡が41基確認された点は注目されます。今年度は竪穴住居跡18軒、掘立柱建物跡10棟、炭窯跡24基などを調査しました。
調査区全景(東から) |
竪穴住居跡竪穴住居跡は10世紀代(西暦900~1,000年)のものが中心で、11世紀代には減少していきます。一辺が3~5mの正方形に近い形で、東~南東の壁にカマドがあり、柱穴が検出できない住居跡がほとんどですが、西壁にカマドを設けるもの、壁柱穴を伴うものが少ないながら見つかっています。また、同じ文字を書いた土器が複数の住居跡から出土しており、他とは違う要素を持つ住居跡を抽出することで、集落の成り立ちや構成がわかるかもしれません。 |
東と西にカマドをもつ住居跡の重複(南から) |
東壁に2つの壁柱穴をもつ住居跡(西から) |
住居跡の奥壁に沿って出土した土器 |
屋根を支えた部材が焼け落ちた焼失住居跡 |
炭窯跡から出土した木炭 |
炭窯炭窯は木炭を作るための施設で、遺跡内に点在しています。幅140~170cmの長方形の竪穴を本体とし、一方の短辺側に排煙のため煙道を設けるのを基本としますが、全長に違いがあり、細かい造りから数種類に分類できます。出土する木炭は直径5cm内外で、窯の幅に差がない点から、木炭には規格があったと推測されます。木炭の年代測定では西暦1,000~1,150年頃の値が示されており、竪穴住居の減少と入れ替わって多くなっていくようです。 |
遺跡内で最大の炭窯跡の完掘状況 |
陥(おと)し穴の完掘状況 |
陥(おと)し穴の横断面 |
陥(おと)し穴陥し穴は獣を捕らえるための罠で、尾根が急激に狭まる手前に、尾根を横断して11基が並んで見つかりました。平均した大きさは長さ260cm、幅120cm、深さ150cmで、穴の下半分はさらに狭まり、底面には木杭の痕跡と思われる小さな穴が4~6個並びます。特徴的な形からシカ用と推測されます。統一感のある配置と共通する穴の形から、全て同時期に掘られたものと考えられ、第243号土坑出土の炭の年代測定値は西暦1,300年代と出ています。 |
土師器坏(平安時代) 西久保B遺跡出土 |
緑釉陶器(平安時代) 西久保B遺跡80号土坑出土 |
土師器坏(平安時代) 西久保A遺跡出土 |
土師器坏(左)・皿(右)(平安時代) 西久保B遺跡第4号住居跡出土 |
土師器皿(平安時代) 西久保B遺跡第8号住居跡出土 |
土師器坏(平安時代) 西久保B遺跡第12号住居跡出土 |
土師器高台付坏(外面)(平安時代) 西久保B遺跡第12号住居跡出土 |
土師器高台付坏(内面)(平安時代) 西久保B遺跡第12号住居跡 |
土師器皿(平安時代) 西久保B遺跡第15号住居跡出土 |
土師器坏(平安時代) 西久保B遺跡第25号住居跡出土 |
土師器耳皿(みみざら)(平安時代) 西久保B遺跡第37号住居跡出土 |
灰釉陶器 小瓶(平安時代) 西久保B遺跡第31号住居跡出土 |
碁石(平安時代) 西久保B遺跡第80号土坑出土 |
丸鞆(まるとも)(平安時代) 西久保B遺跡第44号住居跡出土 |
丸鞆(まるとも)(裏)(平安時代) 西久保B遺跡第44号住居跡出土 |