トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 山梨の遺跡発掘展2021デジタルミュージアム > 山梨の遺跡発掘展2021デジタルミュージアム藤崎岡遺跡
ページID:98904更新日:2021年3月26日
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所在地:大月市藤崎
事業名:一般県道梁川猿橋線バイパス新設工事
調査期間:令和元年12月17日~令和2年3月13日
調査面積:約400㎡
時代:縄文時代
調査主体:大月市教育委員会・昭和測量株式会社
藤崎岡遺跡は、桂川右岸の北東方向へ緩やかに傾斜した河岸段丘上に位置しています。一般県道梁川猿橋線のバイパス新設に伴い、発掘調査が実施されました。発掘調査によって400㎡の範囲から縄文時代の竪穴住居跡6軒が確認されました。この密集した住居数は、この段丘上が縄文時代の生活に適していたこと物語っています。また、約8,000年前、富士山の噴火によってから流下した猿橋溶岩が遺跡の近くまで流れてきたため、遺跡からは溶岩を利用した石器なども出土しています。
調査区全景と桂川 |
猿橋溶岩猿橋溶岩は、今から約8,000年前に、富士山が噴火した時に流下した溶岩で、噴出量の多さと粘性の低さから、直線距離にして約36km離れた大月市猿橋町藤崎の地まで流れてきました。国指定名勝の猿橋の付近では、溶岩流の下部に縦方向のヒビが入った柱状節理を観察することができます。 藤崎岡遺跡からは溶岩を石材として利用した石器がいくつか出土しました。これは、藤崎岡遺跡の住人と溶岩が身近にあったことを物語っています。 |
第5号住居跡の立石(りっせき)検出状況 |
住居跡今回の調査では6軒の竪穴住居跡が確認されました。そのうち、第1号住居跡と第6号住居跡は炉跡のみが残っています。表土が厚く堆積していた第5号住居跡は良好な状態で確認されており、住居内からは5本の柱穴と花崗岩製で柱状の立石も確認されています。 確認された竪穴住居跡はすべて同一時期に建てられたものではなく、縄文時代中期中葉~後葉にかけて造られたものです。ここが居住に適した場所として、長い期間集落が存在していたことがわかります。 |
第4号住居跡全景 |
第4号住居跡上層のスコリア第4号住居跡が使われなくなり、完全に土に埋まった後、富士山の噴火によって降り注いだ火山噴出物(スコリア)が堆積したことが確認されました。確認されたスコリアはブロック状にまとまって堆積しており、分析の結果、S-5・S-6と呼ばれる富士山起源のスコリアであることがわかりました。堆積の状況から判断すると、第4号住居跡が完全に埋没した後から第5号住居跡が造られる直前の時期にスコリアが降ったと考えられます。このスコリアは「曽利のスコリア」とも呼ばれています。曽利式土器のⅢ式~Ⅳ式の時期に降ったとされる火山噴出物で、大月市以外に富士吉田市、西桂町、都留市の遺跡からも確認されています。 |
第4号住居跡石囲炉 |
炭化した種実第4号住居跡と第5号住居跡からは炭化した種実が発見されており、当時の食生活を探るうえで大きな手がかりが得られました。炭化した種実は、第4号住居跡からはクリの果実(クリの固い皮)の一部と、第5号住居跡からはオニグルミの核(クルミの殻)の一部で、いずれも炉の中から発見されています。クリもオニグルミも食用になりますが、発見されたクリ果実、オニグルミ核は共に食べられない部分です。このことから、食べられる部分だけ食べ、食べられない部分は炉の中で燃やしていたという縄文人の行動が復元できます。 |
第15号土坑遺物出土状況 |
猿橋溶岩を利用した炉石(縄文時代) 第2号住居跡出土 |
溶岩製の磨石(すりいし)(縄文時代) |
深鉢形土器(縄文時代) 第2号住居跡出土 |
深鉢形土器(縄文時代) 第4号住居跡出土 |
深鉢形土器(縄文時代) 第5号住居跡出土 |
深鉢形土器(縄文時代) 第5号住居跡出土 |
深鉢形土器(縄文時代) 第15号土坑出土 |
深鉢形土器(縄文時代) 第15号土坑出土 |
深鉢形土器(縄文時代) 遺構外出土 |