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ページID:69393更新日:2017年5月19日
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富士河口湖町の遺跡
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疱橋遺跡とは【写真1.】国道137線新西川橋~現在の様子
今から5年ほど前の2010年(平成22年)に河口2期バイパスが開通。その事前調査で2005年(平成17年)に新たに見つかった遺跡で、疱橋(もばし)遺跡といいます。上の【写真1.】に写っている橋(新西川橋)の下には西川が流れています。別名を疱川(もがわ)または疱橋川(もばしがわ)といい、河口集落に下った西川橋付近に疱瘡神社があったことからつけられた川の名称とされています。 【写真2.】疱瘡神社があった付近の現在の様子
疱瘡(ほうそう)とは天然痘(てんねんとう)ともいい、奈良時代や江戸時代に大流行した疫病で、疱瘡は一度経験すれば再びかからないため,軽くすむように疱瘡神を祀り,治りかけたら神を送り出すという風習が広く見られたそうです。『河口湖文化財第九集ふるさとの社寺』(平成3年3月河口湖町文化財審議会編:旧河口湖町教育委員会発行)によると、「神社名:疱神社/所在地:河口湖町河口字疱橋1347番地」「お社は、徳川時代に造られたと思はれるが昭和五十八年の台風により焼失してしまった」との記載がありました。 調査した疱橋遺跡からは、縄文時代から古墳時代にかけての土器片や近世の遺構・遺物が見つかりました。 遺跡の概要 所在地:南都留郡富士河口湖町河口字疱橋 調査面積:100平方メートル 調査期間:山梨県埋蔵文化財センター 調査期間:2005(平成17)年7月27日~8月28日 報告書:『滝沢遺跡・疱橋遺跡・谷抜遺跡』一般国道137号線河口2期バイパス建設工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書(山梨県埋蔵文化財センター報告書第247集) 河口湖周辺では珍しい弥生時代後期の遺物が【写真3.】弥生時代後期の甕破片
遺跡からは、弥生時代後期の甕【写真3.】が出土。河口湖方面では貴重な発見となりました。この地域では富士山の火山活動(溶岩流や火山灰)の影響で、弥生時代の遺跡が稀少ともいえますが、近年、弥生時代の遺跡が相次いで発見されました。 例えば、疱橋遺跡のように河口湖北東岸地域(河口地区)では溶岩の影響を受けず、「塚越遺跡」<遺跡トピックス0095・0177>では弥生時代中期の集落跡や、「滝沢遺跡」4.区<遺跡トピックス0334>からは弥生中期で現在のところ県内最古の方形周溝墓も見つかっています。また溶岩の影響を受けた河口湖南岸地域(船津・小立地区)でも島原遺跡・宝司塚遺跡などに遺跡事例があり、湖に浮かぶ鵜の島には縄文時代晩期から弥生時代前期にかけての土器が確認されています。 駿河と甲府盆地を結ぶ古代の道の可能性~交通の要所として
【写真4.】古墳時代の甕破片 この遺跡では、縄文時代から古墳時代にかけての遺物【写真4.】が出土しています。この遺跡周辺は、駿河と甲府盆地を結ぶ「古代の道」の存在や、御坂峠の麓にあたる交通の要所であることがすでに研究されています。しかし今回の調査では、古墳時代の土器(写真4.)なども出土していることから、律令制度の官道以前(奈良時代よりも古い)に、すでに交通路として利用されていたことが推測できるなど、山梨県の交通の歴史を考える上で、注目される場所ともいえます。
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