ページID:126637更新日:2026年6月30日

ここから本文です。

令和7年度 発掘調査情報

 毘沙門遺跡(第3次)(びしゃもんいせき)

  • 場所:笛吹市境川町石橋地内
  • 時代:古墳・平安
  • 調査期間:令和6年12月20日~令和7年4月25日
  • 調査内容
<どんなところに遺跡があるか>

 毘沙門遺跡は、境川によってつくられた扇状地の中央に位置しています。当センターでは、毘沙門遺跡において発掘調査を続けており、古墳時代から平安時代の集落跡が営まれていたことが分かっています。集落の西側では、7世紀頃の古墳が2基(先屋敷塚古墳群)見つかっています。

<調査で見つかったもの>

 今回の調査区にも、古墳時代から平安時代にかけての集落跡が続いていることが分かりました。古墳時代後期の竪穴建物跡が2軒、奈良~平安時代の竪穴建物跡は12軒も見つかりました。古墳時代後期の竪穴建物跡が使われなくなった後、その窪地を利用して、たくさんの土器を一箇所に集めている遺構が見つかりました。

<調査のポイント>
  • 土器を一箇所に集めている遺構は、主に6世紀後半頃の土師器の坏や甕が見られ、5m×5mほどの範囲に集中していました。土器などを使用したオマツリの跡か、その片付けをした痕跡と考えられます。
  • 竪穴建物跡には、石で組んだカマドがしっかりと残っていました。
<こんなことがありました>

 たくさんの出土土器片を、1点1点、測量器械を使用して取り上げました。取り上げた土器片は、3,000点以上に及びます。

毘沙門土器集積 毘沙門遺跡カマド
古墳時代後期の土器集積遺構 平安時代の竪穴建物跡のカマド跡

 小井川遺跡(第7次)(こいかわいせき)

  • 場所:中央市布施地内
  • 時代:中世
  • 調査期間:令和7年3月10日~令和7年6月20日
  • 調査内容
<どんなところに遺跡があるか>

 小井川遺跡は、JR身延線の小井川駅の西側に位置しています。周辺は河川の氾濫によって幾重にも砂が堆積しており、一見すると平坦地のように見えます。本調査区の東側や北側では、過去の調査により中世の遺構が見つかっています。

<調査で見つかったもの>

 中世末から江戸時代初期頃の水田跡が見つかりました。水田には、畔や多数の足跡、鋤で畔の横を掘った跡や、水路跡などが発見されました。

<調査のポイント>

 見つかった水田跡は、過去の調査で発見されている中世の寺院跡や集落跡と同時期のものになる可能性があり、当時の村落の様子を復元する鍵になるかもしれません。

<こんなことがありました>

 水田跡につけられた多数の足跡は、なんと1200箇所以上を数えることができました。

小井川
足跡などが多数見つかった水田跡

大津天神堂遺跡(第2次)(おおつてんじんどういせき)

  • 場所:甲府市大津町地内 
  • 時代:中世 
  • 調査期間:令和7年4月30日~令和7年9月19日
  • 調査内容
<どんなところに遺跡があるか>

 大津天神堂遺跡は、甲府市大津町、アイメッセの北側に位置しています。周りはこれまで遺跡が少ない地域と考えられてきましたが、試掘調査によって、広い範囲に中世の遺跡が広がっていることが明らかになっています。

<調査で見つかったもの>

 2時期の土層から、遺跡が見つかりました。

  • 1層目からは、16世紀(500年前)の田んぼや、水田の中に島のように存在する「島畠(しまばた)」と呼ばれるハタケが見つかりました。
  • 2層目からは、15世紀(550年前)のムラの跡が見つかりました。掘立柱の建物や井戸などによるお屋敷を、溝で囲ったり区切ったりしている様子がよく分かります。
<調査のポイント>
  • 幅が3m以上ある、大きな溝が見つかりました。この溝からはたくさんの土器や木製品が残りの良い状態で出土しました。
  • 石で組まれた井戸や、お墓が発見されました。これは、令和5年度の1次調査では見つからなかったもので、大津天神堂遺跡のムラがどんな様子だったのか、よりはっきりと分かるようになってきました。
<こんなことがありました>

 木製品は、日に当たって乾いてしまうと、すぐボロボロになってしまいます。木製品が出土したら、乾かないようにすぐに袋をかけるなど心がけました。

天神堂 SD1 天神堂 下駄
区画用の溝から遺物が出土した様子 溝から出土した500年前の下駄

中谷遺跡(なかやいせき)

  • 場所:都留市小形山2265-1等
  • 時代:縄文・平安
  • 調査期間:令和7年5月19日~令和8年3月31日
  • 調査内容
<どんなところに遺跡があるか>

 リニア見学センターのすぐ近く、高川という小さな川が流れる谷に遺跡は位置しています。令和6年度の発掘調査では、平安時代の集落跡が見つかっています。7年度は、過去に発掘調査が行われ、縄文時代後期の集落跡が見つかったリニア実験線に近い範囲で発掘調査を実施しました。

<調査で見つかったもの>

 縄文時代前期、中期、後期、奈良・平安時代、近世と、複数の時期の生活痕跡が見つかりました。

  • 縄文時代中期では、斜面の中腹において、石囲炉をもつ竪穴住居跡が見つかりました。
  • 縄文時代後期では、川に近づいた斜面の裾部において、住居跡の床面や壁面に石を用いる「柄鏡型敷石住居」跡が2軒見つかりました。
  • 奈良時代~平安時代では、前回の調査区に続き、カマド跡をもつ竪穴建物跡が5軒ほど見つかりました。
<調査のポイント>
  • 縄文時代後期の敷石住居跡は、床面に平坦な石をきれいに敷いている様子がわかります。敷石住居跡の調査は当センターでも久しぶりで、貴重な調査事例となりました。
  • 平安時代のカマド跡は、石を組んで造っており、とても残りがよいものでした。この時代の集落が、谷部の斜面中腹に位置するのはどのような意味があるのか、考えていく必要があります。
<こんなことがありました>

 敷石住居跡に使用された石は大きく、重いものもあり、持ち上げるのも大変でした。

敷石住居跡 中谷のカマド
縄文時代後期の柄鏡型敷石住居跡 平安時代の竪穴建物跡 石組みのカマド

神明遺跡(第2次)(しんめいいせき)

  • 場所:笛吹市石和町小石和
  • 時代:平安・中世・近世
  • 調査期間:令和7年6月2日~10月10日
  • 調査内容
<どんなところに遺跡があるか>

 神明遺跡は、笛吹市石和町小石和に位置しており、過去の笛吹川の氾濫などによって、地下深くに遺跡が埋まっています。令和5年度には本調査区の南側で調査を実施しており、平安時代後期から中世にかけての遺跡が見つかっています。

<調査で見つかったもの>

 室町時代の柱穴や土抗、溝、石組みの井戸、人骨を伴うお墓、石敷遺構などが見つかりました。当時、この地に集落跡が広がっていたものと想定されます。このほか、多数の土器、主にカワラケと呼ばれるお皿を一箇所にまとめている遺構(土器集積遺構)も見つかりました。

 一方、室町時代以前の平安時代の竪穴建物跡も2軒見つかっています。

<調査のポイント>
  • 土器集積遺構は、宴会などで使用したカワラケを片付けた痕跡である可能性があります。
  • お墓の近くにある石敷遺構からは、骨の破片も見つかっており、火葬をした施設かもしれません。
<こんなことがありました>

 土器の集積遺構は、おびただしい量のカワラケが積み重なっており、きれいに写真を撮るための作業(土器の形をはっきり出す)が大変でした。

中世のお墓 土器集積遺構
人骨の残るお墓 カワラケが大量に出土した土器集積遺構

平田宮第2遺跡(第6次)(ひらたみやだい2いせき)

  • 場所:中央市下河東地内
  • 時代:平安・中世
  • 調査期間:令和7年10月6日~令和8年2月13日
  • 調査内容
<どんなところに遺跡があるか>

 山梨大学医学部キャンパスの南側、上窪遺跡の西隣りに位置しています。隣接する令和6年度の調査では、平安時代から鎌倉時代にかけての複数時期の生活面が見つかっています。

<調査で見つかったもの>

 平安時代(10世紀後半頃)のハタケ跡が見つかりました。

 一方、令和6年度の調査時に見つかっていた他の時期の生活面は、当地点では洪水などによって流されてしまっている様子が分かりました。

<調査のポイント>

 ハタケ跡は、北側の区画と南側の区画で、畝と畝の間隔が異なります。作物の違いなどが要因になるのでしょうか。

<こんなことがありました>

 畝と畝の間の溝は、掘りあげてしまうと逆に見えにくくなると考え、黒い土が埋まった状態のまま写真を撮ることにしました。

平田宮1 平田宮2
10世紀後半のハタケ跡 ハタケ跡に見られる畝間の溝

上窪遺跡(第13次)(かみくぼいせき)

  • 場所:中央市下河東地内
  • 時代:古代、中世
  • 調査期間:令和7年12月22日~令和8年5月1日
  • 調査内容
<どんなところに遺跡があるか>

 上窪遺跡は、中央市下河東、山梨大学医学部キャンパスの南側に位置しています。隣に位置する平田宮第2遺跡とあわせて、これまで何度も発掘調査が行われており、周辺には平安時代の水田跡がとても広い範囲に埋まっていると考えられます。

<調査で見つかったもの>

 主に3時期の土層から、遺跡が見つかりました。

  • 1層目からは、12世紀前後(800~900年前)の田んぼの跡が見つかりました。田んぼの上面には多数の足跡が残っていました。
  • 2層目からは、10世紀前半(1100年前)の田んぼと畠の跡が見つかりました。地震の痕跡である、噴砂の跡も見つかりました。
  • 3層目には、9世紀後半(1150年前)のムラの跡が見つかりました。カマドをもつ竪穴建物跡や、幅が8mほどある流路を発見しました。
<調査のポイント>
  • 3層目のムラ跡を流れていた流路からは、山梨県内において明確に分かるものとしては初の事例となる木簡が出土しました。また、墨書土器も多数見つかっており、上窪遺跡が平安時代に重要な役割を担うムラであった可能性が高まってきました。

 →出土した木簡についてはコチラ上窪遺跡出土の木簡写真(PDF:2,022KB)
 木簡とは細長く薄い木の板で、墨で文字などが書かれたものです。役所どおしの連絡用や、記録用、あるいは荷札などとして用いられたものが多くあります。

  • 田畠にみられた地震の痕跡や、洪水によって埋まった跡など、災害の歴史を考える上でも、上窪遺跡から得られた情報はたくさんありました。
<こんなことがありました>

 上窪遺跡は地下水位が高いので、3層目のムラ跡の調査では、湧水を24時間ポンプアップしながら調査を行いました。

上窪水田 上窪建物
中世初頭頃の水田跡 平安時代の竪穴建物跡

大津天神堂遺跡(第3次)(おおつてんじんどういせき)

  • 場所:甲府市大津町地内
  • 時代:中世
  • 調査期間:令和8年1月21日~2月27日
  • 調査内容
<どんなところに遺跡があるか>

 大津天神堂遺跡は、甲府市大津町、アイメッセの北側に位置しています。3次調査地点は、1次調査や2次調査時に調査ができなかった西端の範囲で実施しました。

<調査で見つかったもの>

 1次調査や2次調査において見つかっていた、16世紀の島畠の続きが見つかりました。

 一方、15世紀代とみられる炭溜まり遺構も新たに見つかりました。

<調査のポイント>

 当地点はすぐ西側に鎌田川が流れていますが、中世の遺跡は川の影響を受けずに地中に残っていました。現在の流路と過去の流路が一致するわけではないという事例になりました。

大津3次
16世紀頃の島畠跡

このページに関するお問い合わせ先

山梨県観光文化・スポーツ部埋蔵文化財センター 
住所:〒400-1508 甲府市下曽根町923
電話番号:055(266)3016   ファクス番号:055(266)3882

同じカテゴリから探す

このページを見た人はこんなページも見ています

県の取り組み

pagetop