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ページID:126637更新日:2026年6月30日
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毘沙門遺跡は、境川によってつくられた扇状地の中央に位置しています。当センターでは、毘沙門遺跡において発掘調査を続けており、古墳時代から平安時代の集落跡が営まれていたことが分かっています。集落の西側では、7世紀頃の古墳が2基(先屋敷塚古墳群)見つかっています。
今回の調査区にも、古墳時代から平安時代にかけての集落跡が続いていることが分かりました。古墳時代後期の竪穴建物跡が2軒、奈良~平安時代の竪穴建物跡は12軒も見つかりました。古墳時代後期の竪穴建物跡が使われなくなった後、その窪地を利用して、たくさんの土器を一箇所に集めている遺構が見つかりました。
たくさんの出土土器片を、1点1点、測量器械を使用して取り上げました。取り上げた土器片は、3,000点以上に及びます。
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| 古墳時代後期の土器集積遺構 | 平安時代の竪穴建物跡のカマド跡 |
小井川遺跡は、JR身延線の小井川駅の西側に位置しています。周辺は河川の氾濫によって幾重にも砂が堆積しており、一見すると平坦地のように見えます。本調査区の東側や北側では、過去の調査により中世の遺構が見つかっています。
中世末から江戸時代初期頃の水田跡が見つかりました。水田には、畔や多数の足跡、鋤で畔の横を掘った跡や、水路跡などが発見されました。
見つかった水田跡は、過去の調査で発見されている中世の寺院跡や集落跡と同時期のものになる可能性があり、当時の村落の様子を復元する鍵になるかもしれません。
水田跡につけられた多数の足跡は、なんと1200箇所以上を数えることができました。
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| 足跡などが多数見つかった水田跡 |
大津天神堂遺跡は、甲府市大津町、アイメッセの北側に位置しています。周りはこれまで遺跡が少ない地域と考えられてきましたが、試掘調査によって、広い範囲に中世の遺跡が広がっていることが明らかになっています。
2時期の土層から、遺跡が見つかりました。
木製品は、日に当たって乾いてしまうと、すぐボロボロになってしまいます。木製品が出土したら、乾かないようにすぐに袋をかけるなど心がけました。
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| 区画用の溝から遺物が出土した様子 | 溝から出土した500年前の下駄 |
リニア見学センターのすぐ近く、高川という小さな川が流れる谷に遺跡は位置しています。令和6年度の発掘調査では、平安時代の集落跡が見つかっています。7年度は、過去に発掘調査が行われ、縄文時代後期の集落跡が見つかったリニア実験線に近い範囲で発掘調査を実施しました。
縄文時代前期、中期、後期、奈良・平安時代、近世と、複数の時期の生活痕跡が見つかりました。
敷石住居跡に使用された石は大きく、重いものもあり、持ち上げるのも大変でした。
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| 縄文時代後期の柄鏡型敷石住居跡 | 平安時代の竪穴建物跡 石組みのカマド |
神明遺跡は、笛吹市石和町小石和に位置しており、過去の笛吹川の氾濫などによって、地下深くに遺跡が埋まっています。令和5年度には本調査区の南側で調査を実施しており、平安時代後期から中世にかけての遺跡が見つかっています。
室町時代の柱穴や土抗、溝、石組みの井戸、人骨を伴うお墓、石敷遺構などが見つかりました。当時、この地に集落跡が広がっていたものと想定されます。このほか、多数の土器、主にカワラケと呼ばれるお皿を一箇所にまとめている遺構(土器集積遺構)も見つかりました。
一方、室町時代以前の平安時代の竪穴建物跡も2軒見つかっています。
土器の集積遺構は、おびただしい量のカワラケが積み重なっており、きれいに写真を撮るための作業(土器の形をはっきり出す)が大変でした。
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| 人骨の残るお墓 | カワラケが大量に出土した土器集積遺構 |
山梨大学医学部キャンパスの南側、上窪遺跡の西隣りに位置しています。隣接する令和6年度の調査では、平安時代から鎌倉時代にかけての複数時期の生活面が見つかっています。
平安時代(10世紀後半頃)のハタケ跡が見つかりました。
一方、令和6年度の調査時に見つかっていた他の時期の生活面は、当地点では洪水などによって流されてしまっている様子が分かりました。
ハタケ跡は、北側の区画と南側の区画で、畝と畝の間隔が異なります。作物の違いなどが要因になるのでしょうか。
畝と畝の間の溝は、掘りあげてしまうと逆に見えにくくなると考え、黒い土が埋まった状態のまま写真を撮ることにしました。
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| 10世紀後半のハタケ跡 | ハタケ跡に見られる畝間の溝 |
上窪遺跡は、中央市下河東、山梨大学医学部キャンパスの南側に位置しています。隣に位置する平田宮第2遺跡とあわせて、これまで何度も発掘調査が行われており、周辺には平安時代の水田跡がとても広い範囲に埋まっていると考えられます。
主に3時期の土層から、遺跡が見つかりました。
→出土した木簡についてはコチラ→上窪遺跡出土の木簡写真(PDF:2,022KB)
木簡とは細長く薄い木の板で、墨で文字などが書かれたものです。役所どおしの連絡用や、記録用、あるいは荷札などとして用いられたものが多くあります。
上窪遺跡は地下水位が高いので、3層目のムラ跡の調査では、湧水を24時間ポンプアップしながら調査を行いました。
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| 中世初頭頃の水田跡 | 平安時代の竪穴建物跡 |
大津天神堂遺跡は、甲府市大津町、アイメッセの北側に位置しています。3次調査地点は、1次調査や2次調査時に調査ができなかった西端の範囲で実施しました。
1次調査や2次調査において見つかっていた、16世紀の島畠の続きが見つかりました。
一方、15世紀代とみられる炭溜まり遺構も新たに見つかりました。
当地点はすぐ西側に鎌田川が流れていますが、中世の遺跡は川の影響を受けずに地中に残っていました。現在の流路と過去の流路が一致するわけではないという事例になりました。
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| 16世紀頃の島畠跡 |