ページID:105878更新日:2022年9月12日
ここから本文です。
・「戦地からのたより」は、(一財)山梨県遺族会女性部が中心となり、戦後75年を記念して、戦没した父が家族に宛てた手紙を集めて編集したものです。女性部では「悲惨な戦争を二度と繰り返さず、私達のような戦争遺族が出ないように」との考えや、貴重な資料を後世に残したい、との想いから、遺族の了解をいただき「たより」を募集し出版することとなったものです。
・手紙のほとんどが軍事郵便と印刷された葉書で、内容は全て検閲を受け、上官の印鑑が押されています。葉書一面に小さな文字で家族への想いがびっしり書かれています。封書のものは全体の2割程度でした。
・「戦地からのたより」は県立図書館をはじめ、市町村の図書館へも寄贈されています。ご興味のある方は、冊子を手に取って御覧下さい。
題 名
1 お父さんの武運を祈ってくれてありがとう(甲府市高畑町 秋山政純)
2 蚕の成績は如何、無理をしないように(北巨摩郡登美村 雨宮行善)
3 体を大切に、しっかり勉強して(西八代郡市川大門町 石原正)
4 妻子に遺す、両親に孝養を尽くされよ(中巨摩郡敷島町 伊東嘉三)
5 お前達の幸福をどこにいても祈っている(南巨摩郡増穂町 井上文雄)
6 厳寒の北満 真綿のチョッキに感謝(北巨摩郡安都玉村 内田與秋)
7 軍人の妻らしく強くより強く立派に家庭を守ってくれ(中巨摩郡田富村 河西東)
8 遺書めいた便り母宛に、葉書は焼失(南都留郡下吉田町 萱沼賀三)
9 息子三人相次ぐ訃報、父母の悲嘆如何ばかりか(東山梨郡諏訪町 久保川保喜・久保川文夫・久保川竹芳)
10 家族や親戚の皆様へ最後の挨拶(南巨摩郡鰍沢町 坂本文吉)
12 家に帰る日まで頑張って呉れ(甲府市三日町 清水新太郎)
13 自分が帰るまで皆仲良く待っていてくれ(東山梨郡塩山町 宿澤等)
14 何度も言うが元気で俺の帰りを待ってくれ(南都留郡谷村町 鈴木房吉)
15 村の大火で軍事郵便すべて焼失 母の追憶と朧げな記憶を辿って(南都留郡木立村 古屋範里)
・和夫チャン 先日はお便りありがとうね。和夫も毎日おこりこうにおばあちゃんやお母様の言うことをきいて、又やす子ののお守りをしているとのこと、おりこうね。お父さんも毎日毎日元気で居るからご安心ください。
・和夫チャン 其の後何のお変わりもありませんか。大きくなったでしょうね。この便りが着く頃はお正月ですね。お母様に何か良い品物を買ってもらっていることと、お父さんは思います。そしてみんなで仲良くしていることと思います。
・和夫チャン 向寒の折から十二分にお身体に気をつけて,おばあちゃんやお母様のいうことを聞いて、良いやす子の兄様に成る事をお父様はお願いいたします。そして危ない所やなんかで遊ばない様にしてくださいね。
・最後に、皆で写真を撮って、手札形と一緒に送ってください。
・和夫チャン お父さんからお礼を申し上げます。お父さんの武運を祈って下さっているとの事、ありがとうね。
・では、和夫チャンのご健康をお祈りいたします。
さようなら
和夫チャンへ 父より
※満州国黒河省より(その後フィリピンへ)
和夫さん 四歳の時
・その後、長い事手紙を出さず、本当に申し訳ない。
・定めし心配していたであろう。しかし、出発いらい何の事故もなく無事目的地に到着して元気いっぱいに軍務にご奉公しているから安心してくれ。いろいろな感情が胸いっぱいで何から書いて良いかわからない。しかし現在の俺に対しては、少しも心配はいらない。気候風土他、すっかり変わっているとはいえ体もすこぶる丈夫、お前達の心配している事についても、少しも心配の必要はない。今後も手紙等は種々の関係で遠くなるかもしれないが心配の必要はない。
・全て出発の時に俺が言った通り安心して、しっかり不在中を守ってくれ。内地も今頃は、春蚕の上蔟期で多忙の事だろう。蚕の成績は如何、あまり無理をしない様に頼む。大変暑くなってきたが善彦はどうだね。元気で又ずいぶん面白くなったろう。寝冷え等させない様注意してもらいたい。当地の暑さは、相当なものだ。しかし幸い居る処は内地の軽井沢とも言える南の軽井沢だ。ほんとに涼しい処でその点恵まれている。
・南国特有の緑がいっぱいに茂り、見るからに気持ちがいい。ヤシ、パインアップル、パパイヤ、バナナ、その他名も知らない果実がうまそうにいっぱい見えるのはやっぱり南国だ。土地の島民もすっかり馴れて、挨拶、礼儀もしっかり出来て驚く。小学校も日本語で、小さな子供達が日本語で話したり愛国行進曲で頑張っている風景を見るとかつて二年半前皇軍が血を流して戦ってくれた事の感謝に思わず頭がさがる。内地もこれから本格的な暑さと、仕事が多忙でも変わらず体には充分注意してもらいたい。御互いに体だけは健康で在ればそれで良い。それでは、俺の事は心配しないでくれ。今居る処は○○一人いない。安心の地だ。返事を急いでもらいたい。孝明も異状がないか。宜敷く。
雨野 行善
雨野 綾夫殿
※フィリピン派遣隊より、妻宛、葉書二枚
今日も相変わらず暑い日です。
お前達の水泳ぎの姿が目に浮かびます。
体を大切にしっかり勉強してください。
皆の言い付けを守ってください。
お父さんはそれを楽しみに働いて居ります。
返事はいりません。
さようなら
子ども達へ
東部七十五練兵隊 石原 正
二年間の献身的な内助に対し、感謝の言葉無し
生活は僅々二年なりと雖も、十年の長きに比し得む
今次部隊転用に当たりて固より生還を期さず、部隊長以下玉砕の覚悟なり
今改めて書き遺すこと非ざるも左記の事柄を考慮の上
今後の生活を樹てられよ
一、如何なることあるも常に将校の妻たることを念慮に置き行動すべきこと。
特に取り乱したる言動は最も見苦し、又遺族なる恩寵に狃れ、世人の指揮を受けざる様留意あり度し。
一、遺骨の還らざるを常態と思い遺髪を代わりとすべし。
南方戦場の実相に考えを致し、予ねて言い置きし事を両親に良く良く説明あり度し。
一、両親に孝養を尽くされよ。
生計を樹てる為と雖も、両親と別居するが如きは一考を要す。
但し両親亡き後は、如何なる地にありても、又家屋の処分も自由にせられよ。
一、子の養育に当たりては、女児なりと雖も、「国家の為になり得る」という事を念頭に置き、教育すべきこと。
尚両親亡き子の通有性たる「ひがみ」の無き様当意あり度し。
之が為母親自身先ず如何なる境遇にあるも「ひがみ」なき要す。
一、田鶴枝成長の暁は、他家に嫁せしむるも可なり。
然れども、其の子を以って伊藤家を再興せしむる等の方法を講じ、家系を断絶せざる様処置あるべきこと。
細部は両親、兄、姉に相談せられよ。
尚、田鶴枝宛の書は成長の時説示あれ。
昭和十九年八月二十五日 嘉三
光子 殿
※妻宛、封書
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
子供へ
一、母親に孝養を尽くすべきこと
養育の恩を考え、母親第一と考えよ
親には仮初めにも口答えすべかざること
二、何時もおおらかな気持ちで居ること
ひがみは最も禁物、悲観も又悪し
三、国家、社会を先ず考えよ
女性特有の視野の狭い、我利我利の人間となるな
四、良く勉強し立派な人となれ
運動に心懸け身体を鍛えよ
師、長上を敬え
何時も女らしく
父より
田鶴枝 殿
※長女宛、封書
拝啓
先日は御世話に相成りまして、速かしい思いをさせた。悪しからず。
小生も戦場に馳参する事が出来ます事に相成りました。
留守中は御願いするよ。
小生の事で変わった事が有っても気落とすでないぞ。
すべては其れが人生だ。
がっちりと家を守ってくれ。
尚、貴子か、後の子が男であれば其れに、
女の子であれば貴子に後を頼む。
子供は立派に教育せられ、家をけがすな。
お前達の幸福をどこにいても祈っている。
では元気で行って来る。
おれの帰る時は、皆で迎えにきてくれ。
では、さようなら。
近衛騎兵隊 井上 文雄よえい
井上 すゝ乃様
※妻宛 葉書
拝啓
御手紙有難う。いつも達者にてお過ごしの御事、心からお喜び申し上げます。
小生も相変らず元気なれば何卒御安心下さい。
叔父様、叔母様に小生が呉々も宜しく申したと、お伝えください。
(中略)
異郷の空の下にいると、一寸の暇があると兎角故郷の事を思い出します。
正子さんの手紙を戴いて、一入故郷の事を思い出し、床に着いたけれども寝付かれないのです。
戦友も時々寝返りを打っています。蒸し暑い夜、とうとう小生は兵舎の外へ涼みに出てしまいました。
消灯後の兵舎は寂として声なく、雲間より出た三日月に黒い兵舎が中堂に無気味に浮き出しています。
一人淋しく故郷の事を想う時、涙の出るのを禁じえません。
家の事。叔父叔母様、正子さんのことなど、次々に連想されてなりません。
こんな時には、自分の身体が二つあったらと夢の様な空想に更って時の移るのを忘れて居りました。
「忘我の一瞬」
コウロギの鳴く声が裏山の方から聞こえ初秋の訪れを感じました。
過日のお便りに依りますと小生の物何か作って上げたいと、御心配くださっていますが、軍隊にては私物は一つと
して必要なく全部官物にて何等の不自由を感じませんので、この点御心配なき様願い上げます。
最近満州は、悪病流行致しておりますが、小生等の所は村落を遠く離れて居りますので御心配無き様願い上げます。
一人として外出する者なく第一線の守りは堅くなりつつあります。
何卒今後とも身体を大切にして御働き下さいます様、一重にお祈り致します。
先ずは、皆々様のご厚情に対して、厚く厚く御礼申し上げます。
御身御大切に。
草々
昭和十八年八月二十四日 内田 與秋
正子様
(中略)
今のところ小生等は、初年兵を迎える準備、それから検査・査閲等次から次へと色々仕事が出て、非常に大多忙です。
今日も上等兵候補者と共に演習をして帰ってこのニュースを聞いて喜びの余り故郷への便りを書いたのです。
北満は思い掛けなく本年は暖かにて日中は寒さをあまり感じません。御心配なき様願い上げます。
収穫時なれば特に身体に気をつけて下さい。叔父様、叔母様に宜しく。乱筆にて失礼します。
草々
昭和十八年十月二十八日
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
御便り有り難う。
小生の為に御多忙中真綿のチョッキ御送り下さいまして誠に有難く厚く御礼申し上げます。
早速に着用致しました。温かい心が真綿のぬくみによって強く強く感ぜられます。
今後益々愛用致し何時迄も優しい温かい心情に接していたい。
今日も満州の雪空 もう五、六寸の雪が積もっています。寒い風が吹いて顔も手も痛いほどです。
十一月一日に成ってしまいました。今月半ばには黒龍江も氷結する事でしょう。
重い防寒被服を着ての教練は並大抵ではありません。
(中略)
帝国非常の時、大いに御身体に注意して統後の守りを強く御願い致します。
小生少しの病気も知らぬ程元気旺盛なれば何卒御安心下さい。
先は不取敢御礼まで
草々
昭和十八年十一月一日
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
拝啓
相変らず元気の事と存じます。
収穫時なれば何かと多忙にてずい分労れることでしょう。無理は禁物です。
小生益々元気にて軍務に精出して居りますから御安心下さい。
北満は、愈々本格的の寒さが訪れて来ました。今月の中ばには黒龍江が氷結する事でしょう。
(中略)
今年の初年兵は流氷を見ないので隊長が黒河へ行って(行軍で)初年兵に見せるのだと行って居りました。
今日も又雪です、毎日の雪空には閉口してしまいます。もう一尺以上積もって居ります。
防寒服を着ての教練は実に大変です、重い事と言ったらないです。よろいを着ているようです。
これに軍装するのですから尚大変です。重い重い言うのは最初の半月くらいです。
其の内に慣れてきますよ、驚いたり心配するほどの事はありません。
これからだんだん寒くなって参ります。多忙なる折柄御身呉れぐれも御大切に。
草々
昭和十八年十一月六日
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
御無沙汰致しました。
その後多忙なる日々を送っている事と存じます。
小生も相変わらず元気にて風邪一つ引かずに精出していますから何卒御安心下さい。
扨て先日御送り下さいました慰問品本当においしく戴きました。
栗を食べながらつくづく内地の秋を思い出しました。
幼き頃よくおばあさんと一緒に横森に遊びに行ったことを思い出して懐かしさでいっぱいに成りました。
戦友達も珍しいと行って喜んで食べて居りました。
(中略)
北満は寒温の差が激しいので又寒さが加わるのではないかと思われます。
小生もスキーを練習して相当上達しました。スキー隊が編成されるとか言っています。
明日は又初年兵を迎える準備教育です。昼も夜も連続勉強です。
皆自分の為なれば張切ってやっています。何時になっても勉強は必要です。内地でも寒さが加わるでしょう。
御身体を呉れぐれも大切になされます様お願い致します。
多忙なる折柄、叔父様叔母様にあまり無理をなさらない様に申し上げて下さい。
草々
昭和十八年十一月十七日
前略
承知の事と思うが、あの日より演習ではなく本当の警戒警報が発せられ、勿論外出は止まった。
でも失望しないでくれ、これも勝つためだ。多分数日は続くことと思う。
(中略)
お前は普通の身体ではないのだから、くれぐれも体に注意してくれよ、それが何より心配になる。
余り無理をしないで、なるべく温かくして働いてくれ。
そのうちにやがて解除になって、勇んでペダルを踏む時もくるだろう。その時はまた新しい気分で逢おう、あの時逢った気分でね。
次に俺の着替え等は一切不要だから持参する必要はないよ、隊の方にも若干あるから心配は無用だ。
暇があったら、便りをくれ。
では、軍人の妻らしく強くより強く立派に家庭を守っていてくれ。
最愛なる妻へ
主より
※横須賀局気付、封書
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
多分元気でいてくれることを信じて乱文にて失礼する。
佐智子の経過は如何ですか、相当に心配してますが、今は車中ゆえ任地名を知らせて一報してもらうことができない。
いづれ着き次第また連絡する。
(呉より大分へ向かう車中にて)
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
取り急ぎ乱文にて失礼申し上げます。
相変わらず元気で暮らしていることとは思うが、その後の佐智子の経過は如何ですか。至急一報を願います。
最近は、出陣以来、配務にも少々慣れて愈々奉公の誠を尽くして努力している。
では、健康にくれぐれも注意して、至急一報を頼む。
河西 東
河西 と志ゑ様
※横須賀局気付、妻宛、葉書
私は戦死した父の記憶は無い。三歳だったので顔も知らない。
現在のように家族が一緒に暮らしていれば薄々記憶の中にあるだろうが、父は海軍の軍人であった。たえず洋上勤務であり、艦隊が横須賀に入港すると休暇があり、二泊三日で郷里に帰ってきたという。妻と元気な息子の顔を見たかったのであろう。
やがて戦争が激しくなると休暇など無く、軍事郵便で私や母を案ずる文面ばかりだったと言う。戦争末期の手紙には「今度の出撃は厳しい」、南方方面の情報は海軍であるから分かっていたのだろう。
万が一にも生きて帰ることはないだろうと遺書めいた便りが来たという。人生で一番楽しい妻や三歳の子を持つ時、さぞ無念であったろう。
私の父の戦没地パプアニューギニアの海に何回も慰霊に行ったが、行く度に思いが新たになり唯々涙、こんなむごい戦争は絶対に繰り返してはならない。
唯一、南方に行った陸軍の兵士のように餓死でなかったことがせめてもの救いであった。
愈々、本年も残日僅少となりました。
向寒の折柄皆々様、お変わりありませんか。
初めて書信を許されました。途中恙なく任地に到着、元気に勤務して居りますから御安心下さい。
当地の状況に就いては、防諜上詳細をお知らせする事は出来ませんが、目下の処何も心配はありません。
(中略)
次に、望月様と藤原様の住所を忘れたので、礼状を出さなかったが、悪しからず家から宜しく言って置いて下さい。
寒気が少し強く零下二、三十度になりますが、目下の処、至って平静にて特別不自由なものもありません。
当方から、封書を出す事は許されませんから、葉書三枚にて綴りました。
此の書面私の帰還出来る日まで、取って置いて下さい。
では、内地よりのニュースをお待ちして居ます。
左様な良
久保川 保喜
久保川 芳太郎殿
※満州国東寧県より、父宛、葉書三枚
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
秋冷の候となりました。
御便り拝見、皆々様御変わりなき由、降而小生も相変わらず元気です。他事ながら御安心下さい。
御便りは一度に何通も一緒に時々到着致します。
新しいのと古いのが前後して参ります。
御便りを拝見いたしましても返事を差し上げる機会や場所等により、御無沙汰致して居りますが、此の点悪しからず。
今迄は山の中を移動ばかりして居りましたので、思うように便りを出せませんし、非常に遠いので途中随分日数が掛かります。
ではまた。
久保川 文夫
久保川 芳太郎殿
※濠北派遣部隊より、父宛、葉書
拝啓
その後長らく御無沙汰いたしましたが、皆様お変わりありませんか。
私も便りをしませんでしたが、元気旺盛にて活動して居りますので御安心下さい。
内地も忙しい夏が近くなって来たことでしょうね。
当方は相変わらず暑いです。一年中冬は無いと思っているくらいです。
椰子の木陰で椰子の蜜を飲むのが楽しい時間です。
では、暑いから又便りを書きます。
久保川 文夫
久保川 芳太郎殿
※南方(住所不明)、父宛、葉書
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
海軍工機学校生活
それも正に終わらんとす
省って見るに我過去二十年
生まれて初めて味わった
男らしい張り切った
生活であったろう
実習に座学に
或いは銃剣術に
はた又、あの寒風吹き荒らぶ
暁暗の寒稽古の相撲に
走馬灯の如く浮かぶ
懐かしい思い出の数々ぞ
※昭和十九年正月頃、面会時に手渡された最後の書簡
十日後乗船、洋上で戦死
御両親様
長い間厄介になりました。出征してより病気ひとつせず、軍務に励めましたのもご両親様の御陰と思っています。
軍の命により晴れの決戦場に立ちます。
ご両親様どうぞお体を大切に長生きして下さい。
これが私の最後の別れの言葉です。
さようなら 文吉
もと代 殿
かねて覚悟は着いて居ると思い安心して出動します。
戦いは永い、これからがお前達銃後の者達の覚悟一つで勝つのだ。
何一つ楽しませず自分は往く。ご両親様、直文、直美、澄子の面倒、宜しく頼む、達者で暮らしてくれ。
万一の場合は、もと代も知っているとおり、大阪の雪本吾一殿に知らせてくれ、宜しく頼む。
お体を大切にご両親、子供を頼みます。 さようなら
文吉
澄子殿
長い間ご両親の元をはなれていた私の分までご両親の面倒を見てくれて有難う。心からお礼を言う。
又修正してよりは子供たちまで面倒を見てくれて有難う。
自分は最後の手紙を出さずに居たが、ご両親、子供の事をお礼もせずに往く。
さようなら
文吉
角三殿
澄子の兄、茂雄殿にも会った。元気で奉公している。
かねて覚悟の通り、決戦場に立った。御両親、子供の話し相手、相談相手になってくれ、君が居るので安心して
往くよ。
身体を大切に。
さようなら
文吉
物心附きたる恒子に訓ゆ
父亡き娘に兎角横道に踏み迷い易きものなり
世の母と言うものは子に甘くして理性を欠くるして
永年の労苦の為、時世の進軍は遅れ勝ちなり
故に御身青春の者とは見界に於て
思想に於て是して懸隔あるは当然なり
世の誤はる娘達は兎角母親を粗略にする傾向あり
若くして夫を失いその繊手一つに幼き御身等を
擁きつ抱きつつ世の荒波もその身一つに引き受けて
わき目もふらずに童心御身等の為
その成長楽しみに夜も日も寝ずに守統くる苦心惨憺に
幾年を重ねて身も心も共に疲れやつれたる
尊き犠牲の母たるを思いて御身等が
仰ぎ見るならば老いたる母親の
一挙手一投足も慈悲忍辱の御光のさして出ずる心地して
感激に胸ふるうことと信ずるのである
御身の母親は生来人慈愛に富み幼き御身等の為には
身も世もあらず慈しみたる有は
この父が最も良く証明する所あり
この母にしてこの子あり夢も母親の訓へと
おろそかにせず克つ守り行いてこそ
日本婦人最高の美徳なることを銘記せよ
御身等 青春時代には稀々誘惑もあらんも
母様に相談せず母様の許しなくして
事を処する等絶対なき様
この事父より固く申し置くものなり
父亡き後 御身等は味方は只母様のみなり
女は弱わし俑も母は強しとか
この言葉よくよく含味 以って御身の身上
一切に就いて細大となって母様に
打ち明けて許可を仰ぐべし
老先養儘すこそ 又父に対しても
最大なる供養となることと思いりと致し
母と共に苦しみ母と共に喜ぶ様に
父の今生の望みなり
今更言うにはあらざるも父は世紀の聖義に際し
国家の千城 そして大君の御魂の御楯となり
異郷にて在りて護国の鬼となりたるなり
若し 会いたくば靖国の御祀に来れ
永遠に 御身等を守らん
昭和十七年一月元旦
清水 晃
稲子江
いよいよ出発の時が来た、と思う間もなく、色々の集合や人寄せで、君とも充分なる話も出来なんだね。
でもお互いの胸の底に通じている清い愛情は何時果てるとも無く続いているのだよ。
君も嫁いできて早や六ヶ月は夢の間に過ぎてしまった。
でも優しい君は何一つ愚痴を言うのでも無く唯々良き妻としての任務に励んで呉れた。本当に有難うよ。
兵隊の妻としての覚悟は充分に出来ていると思う。勿論出来ていなくてはならんのだ。
東亜第一の国たる日本はいま死生の間を幾度か歩いているんだ。
この時男子として産まれ来ての此の御召しは、家の誉れであり、子孫の名誉だ。
生まれてくる子供の男女を問わず、立派ね兵隊の子供として、僕の帰る日まで頑張って養育して下さい。
子供を好きな父母、そして愛情深い君の養育振りが、今でも目前に浮かんでくる様な気がする。
それから、君はこの家の長男たる僕の妻だ。
僕のいない留守は、君が父母の面倒を見てくれる第一人者だと言うことを忘れないで呉れ。
君子のことなんかは心配せずに充分に叱り、又時には良く言って遣るんだ。
決して君が君子より下に成る事は無い。
君の気持ちとして君子には遠慮して居る事もあるだろうが、余りに下に居ると君子は馬鹿だから、いろんなことを君に言うかも知れんからね。
子供の為に、また僕が家に帰る日まで頑張って呉れる様御願いする。
○○の姉さんも充分に相談相手になって呉れることと信ずる。
色々と書きたいが、此の処でペンを置く。では左様奈良
「君を信愛する」主人より
二伸
部隊の規定により、早速には手紙が出せんかと思うが、心配せずに居て下さい。
夜の九時になれば必ず時計を合わせる事を忘れずに居てくれ。
僕も君もお互いに通う心の楽しみを忘れぬ様にね。
※妻宛、封書
拝啓
その後は御無沙汰いたしましたが皆々様には何のお変わりも御座いませんが、お伺い申します。
お陰様にて小生は毎日元気にて一心にご奉公いたし居りますれば何卒ご安心の程願います。
最早、女の節句も後一週間ばかりとなりましたね。
もう、櫻の花もぼつぼつ咲き始めたことと思います。
自分たちの方は丁度八、九月頃の季節です。
それから二美子に子供が生まれましたか、又母子ともに健康ですか、男の子供かまたは女ですか、この様子を御知らせ下さい。
文句が後に成りましたが父上様の御病気如何ですか、変わり御座いませんか、お知らせ下さい。
次に、弟達の様子も詳しくお知らせ願います。
それで先日もお話ししましたが孝行の事ですがもう年頃です故、良き嫁ぎが有りましたなら私が帰らなくても何時でも良いから式だけでもして下さい。いずれ私が帰って色々とこまかい事は面倒見ます。
故取りあえず式をして、一時内の土蔵の方へでも居てもらって下さい。お願い申します。
とに角、私の留守中は無理をせぬ様に良い安梅に体を思いながら働いて下さい。
その内には私も帰ることでしょう。
あまり長い事はないとは思います。
私の方では品物も何も欲しくないです。
故、ただただ無事に帰る様にこれだけを神様にお祈り下さい。
ではいずれまた。
敬具
宿澤 等
宿澤 星誌様
二美子様
※横須賀局気付、母と妻宛、葉書
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
前略
その後は御無沙汰いたしましたが何の変わった事も無く一同無事に暮して居るか、知らせてくれ、たのむ。
小生も無事にて毎日元気にて御奉公致して居る故安心してくれ。
それから、もう子供も生まれた事と思うが何の便りもないが二人共健康か、また子供は男か女か知らせてくれ、何より楽しみに待って居るよ。
今度手紙を出すにはなるべく書留か航空郵便にて出す様にしてください。
自分等は山の中に居るので金は一文も使う事が無いので棒給はまる余りと言う様な訳だ。
小生等が無事帰る様に神様にお祈りしてくれ
ご近所の方達に宜敷く申してくれ
いずれ又
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
前略
本日、好子よりの便りを拝見したところ女の子供が生まれ、母子共健全との由、何よりの事と喜び居ります。
どうか無事に育ててくれ、たのむ。
もう、便りが来るか来るかと待ちに待っていたところへ便りが有ったので、男でも女でも母子共に健全と有るので飛び立つばかりの喜びで、実に心より喜んだよ。
どうか自分も無事帰塩致して子供の顔が早く見たいよ。
もう自分が帰る頃はずい分大きく成って居ることと思う。
余り無理をせぬ様にぼつぼつやって居てくれ。それで子供の御祝いとして金五十円也をば父上に送金致します故、良い安梅に相談して初めての節句御祝にやってくれ。
そして、家中仲良く楽しく暮らして居てくれ。
その内に自分も無事帰る事と思う故、何分留守は宜敷たのむ。
先ずは取り急ぎ御返事迄。
お前から御近所の方達に暮々も宜敷く申して下さい。
御無沙汰ばかりしてと良く申してくれ。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
前略
その後は御無沙汰いたしたが許してくれ。
月日の立つのは早いもの、自分も最早四ヶ月ばかりと成りました。
相変わらず元気に一心に御奉公致し居りますれば何卒安心してくれ。
家でも一同無事に暮し居られるか、知らせてくれ。
とくに、父上の病気が何だか直ぐ知らせてくれ。
とに角、仲良く皆な元気に揃って自分が帰る迄はできるだけの事をやって居てくれ。
自分が帰れば又何とかなるからね。
あまり無理をせずに、只々身体だけに気を付けて病気せぬ様たのむ。
(中略)
孝行も亨達も帰ったか、好子も学校出てどうなったか、未房も又どうしたか、くわしく知らせてくれ。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
前略
その後は御無沙汰いたしまして、誠に申し訳御座いませんでした。
その後、父上様には何のお変わり御座いませんか、お伺い申し上げます。
何より子の様子をお知らせ下さい。
又母上様や外の者皆変わった事は有りませんか。
多分無事に暮らし居られるとは思いますが御伺い申します。
自分は毎日元気にて勤めて居りますれば何卒御安心の程願います。
昨年の暮は自分が留守の為さぞかし御多忙で有ったでしょう。
遠地より御察し申し上げます。
でも、良いお正月を迎えましたか。
さぞかし手少の為仕事の方も思う様には行かなかったでしょうね。
もう、自分は遠くに居てもほぼ推察出来ます。
自分さえ帰れば又元通りに成りますから今少しの心棒です。
月日の立つのは早い物ですからね。
もう明日は七草ですね。
良くモチも澤山つけましたか、思い出しますね。
次のモチはいただける様に成るかも知れません。
今頃はモチを食べながら仲良く暮して居るでしょうね。
又二美子、好子も仲良く笑い
ながら暮して居るでしょうね。目の前に良く見えますよ。
御近所の家へも暮々も宜敷く申して下さい。
前略
其の後御変わりありませんか。
俺も相変わらず元気で居ります故、御安心下さい。
色々なことをお前に便りしてお前の気持ちも落ち着かなかったことと思います。
それでもお前に便りしたいばっかりに、すまなかったと思っている。
いよいよ、二十二日午後九時に勝田を出発となりました。
行く先は中支だとか、フィリピンだとかデマが飛んでいます。
わたされたシャツやズボンが夏物なので、南方らしいと思います。
名古屋の兄さんにも自分から便りを出したら面会に来てくれました。
向こうへ行くとちょっと便りは出せないかも知れないけれど、そのつもりで居てくれ。
俺のことは心配せずに、体に気をつけて待って居てくれ。
いまさらではないけれど、お前の気丈夫が何より心強い。
お父さん、お母さん、上のお父さん、お母さん達もよろしく頼む。
今、いつも厄介になる家に来ております。
此の家の人は皆親切で、戦友たちと来ています。
今日、思いがけなく外出が出来たので、此の家に来たのです。
四時までに帰ればよいので昼飯をよなれて帰ります。
今、おばさんが酒を持ってきて、ちゃぶだいで酒を飲んでいます。
この酒はおじさんが、さっきわざわざどこかでさがして来てくれたのです。
今、昼飯を食べ終わりました。
戦友の渡邉が、得意の浪花節、佐渡情話、壷坂霊験記、など色々やりました。
今また、おばさんがサツマイモをふかして持ってきてくれました。
渡邉が張り切って妻恋道中を唄っています。
こういう歌は、俺たちもつい唄いたくなりますね。
それでは、体に気を付けて暮らしてくれ
俺のことは心配ないから、これから二、三年というと永い気もするが、経ってみればわけないもので、過ぎるまでが永いと思う気がするのです。元気で暮らしてくれ。
又、この家にも(裏に住所がある)お前からお礼の便りを出しておくように。
なかなか、この家のような親切な家はほかにはないと、自分は思っている。
重吉も南方へ行くらしいと言っていたが、どうなることか知れないが、まだ千葉に居るようだったら、俺からもよろしく、と伝えてくれ。
では終わりに、何度も言うようだけれど、元気で俺の帰りを待つこと。俺もその日を楽しみにしている。
他の人達にも便りをすべきだが、出来ないからお前からよろしく伝えてくれ。
(少し酔ったから字が乱れてしまったが、あしからず)
俺の妻へ
ふさきち
昭和十六年七月、歓呼の声に送られて出征、留守中に弟が誕生。十七年無事帰還。
村長の命により、校庭で青少年に軍事教練指導。
もう年齢も三十歳を過ぎたので召集はないだろう
銃後を守るのが使命と母と話した三日後、二度目の召集。
十八年十二月、甲府市古府中町の第四連隊補充隊に入隊。
入営前夜、甲府駅近くの水晶閣旅館に、祖父母、叔父、私が「まさか今生の別れになろうとは露知らず」一夜を過ごす。
父と温泉に入り体を洗ってもらい、「兄弟仲良くお母ちゃんを助けて心配をかけぬこと」を約束。
翌日入営、八ヶ岳おろしが吹き荒れる中見送り。
手を振る我々家族を追い払った意地悪な兵隊の事、幾年過ぎようとも鮮明に蘇る。
母は、三人目の出産が近く自宅から見送り、筆舌では言い表せぬ葛藤があった事と思う。
十九年一月、出征以来初、母へのたより、福岡県門司より届く。
「お父さん、お母ちゃん、ふゆ、三人の子供たち、元気に過ごされていることと思います。お陰で俺は、千人針で身を守り達者で軍務に励んでいる。これから○○方面へ出発だ。俺の留守中は体に充分に気をつけ両親、子どもを頼む。勉に伝えてくれ、兄ちゃんだから妹や弟達の面倒を良く見ること」
検閲が厳しく書きたき言葉も書けずさぞ無念だったと思う。
十九年四月、待ちに待った仏印よりの軍事郵便。
「家族のみなさん元気で食料増産に励んでいることと思います。こちらは暑い暑いところです。バナナやパイナップルが沢山あり、子どもたちに腹いっぱい食べさせたいな、と望郷の念。俺は元気でお国のために一生懸命働いている。心配なくご安心を。」
その後母が三男誕生の便りを出すも返信無し。
厚生労働省からいただいた部隊行動大要によると、十九年七月ビルマに入り、二十年五月戦死。
生前母は、夫婦生活があまりにも短かったので、浄土では長く仲良くしたいと菩提寺住職に懇願し、自分の戒名に主人の「範里」の一字を入れ「精範院妙永日要大姉」となり、愛する主人のもとへ旅立ちました。
戦死せし 夫の一字を戒名に付けて旅立つ 百歳の母
大切な人の命を理不尽に奪われた悲しみ、苦しみを経験した人々が、次の世代に伝え、共有していくことが重要であり、且つ責務であると考えます。
一般財団法人山梨県遺族会 事務局 055-252-7664
山梨県福祉保健部国保援護課 援護恩給担当 055-223-1454