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ページID:105859更新日:2024年8月2日

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 戦争の悲惨さと平和の大切さ

 戦争体験の次世代への継承

 令和2年に総務省が公表した人口推計によると、日本の人口のうち、戦中・戦前生まれが占める割合は約15%となっており、昭和から平成、令和へと時代が移る中、戦争を体験していない世代が多数を占めるようになってきています。

 戦争が「記憶」から「歴史」に変わりつつある中、再び戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さや平和の大切さを次世代に伝えていく必要があります。

 このページでは、太平洋戦争における本県関係戦没者22,076柱(R5.10現在)を慰霊するため、昭和41年に沖縄県島尻郡八重瀬町の具志頭城跡に建立した「甲斐の塔」をはじめ、山梨県護国神社内に設置した「県下戦没者納骨堂」、昭和20年7月の甲府空襲の概況、県内にある戦争遺跡などを紹介しております。

 後段には、一般財団法人山梨県遺族会女性部が戦後75年を節目に発行した「戦地からのたより」や、戦没者の妻たちが戦後を生き抜いた体験を綴った「過ぎし日に想いをよせて(H14.10発行)」、戦争遺児が父母への想いを綴った「平和の尊さをかみしめて」の2冊をまとめた「戦争を知らない世代へ」に寄稿された文章の一部を紹介しましたので、是非ご覧ください。

 ⇒ リーフレットはこちら(PDF:296KB)

目 次

1 『甲斐の塔』について

2 『県下戦没者納骨堂』について

3 戦争の悲惨さと平和の大切さを次の世代に(戦没者遺族による語り部) 

4 甲府空襲、戦争遺跡等

5 県政出張講座のご案内

6 戦地からのたより((一財)山梨県遺族会・寄稿集)

7 戦争を知らない世代へ((一財)山梨県遺族会・寄稿集) 

8 リンク集(厚生労働省「遺骨収集事業」、総務省「子どもと学ぶ太平洋戦争」等)

 『甲斐の塔』について

 甲斐の塔

 塔建立の経緯

 「甲斐の塔」は、太平洋戦争における本県関係戦没者22,075柱(令和4年9月現在)を慰霊するため、沖縄県島尻郡八重瀬町(旧具志頭村)の具志頭城跡に昭和41年11月8日、「山梨県出身大東亜戦争戦没者慰霊塔建設委員会」が、県助成金・市町村拠出金・寄付金等の資金を基に敷地761㎡を購入し、本県産の原石を用いて建立したものです。

 以来、『甲斐の塔維持管理委員会』(県、県議会、市長会、町村会、市議会議長会、町村議会議長会、県遺族会の7団体で構成)が維持管理にあたり、毎年11月8日を「甲斐の塔」慰霊巡拝の日と定め、遺族代表と関係者により碑前で慰霊祭を行っています。

 

 当地選定の経緯

 八重瀬町(旧具志頭村)は山梨県出身の戦没者が多かったところです。そこで、山梨県南巨摩郡身延町(旧中富町)中山出身の山中幸作氏が私費を投じ、昭和28年6月15日、当時の天野久山梨県知事の筆になる石碑を当地に建立し、沖縄戦で戦死した山梨県出身者の慰霊祭を行いました。こうした経緯から当地が選定されたもので、この石碑は現在も「甲斐の塔」の敷地内にあります。

 同氏は建設会社の社員として沖縄に滞在中、慰霊のため、この石碑を含む5基の供養塔を各地に建立しました。その後、同氏は昭和33年にご逝去されましたが、山梨県では、その功績を讃え昭和39年に感謝状を贈呈しています。

 

 甲斐の塔の周辺

 甲斐の塔に向かって左後方に山中幸作氏建立の「慰霊塔」、右後方に同氏が糸満市に建立し、昭和55年に県が移設した「慰霊塔」(前記5基の1つ)があります。

 更に、後方には、独立混成第44旅団の残存部隊が玉砕し、散在していた10,150柱を旧具志頭村の村民が収骨、埋葬して建立した「魄粋の塔」があります。また、甲斐の塔と反対側には、高知県の「土佐の塔」があります。

沖縄県

令和5年度 甲斐の塔慰霊祭 

 令和5年11月8日(水)午前10時より、沖縄県八重瀬町「甲斐の塔」前において、慰霊祭が行われました。

 

  

『県下戦没者納骨堂』について

 

戦没者納骨堂

 建設の経緯

・戦没者納骨堂は、戦没者を慰霊するため、日中戦争以降の遺骨を連帯区司令部が分骨して陸軍墓地に納めたことが始まりです。

・昭和20年、現在のつつじが崎霊園の中央(現在、レイテ島慰霊碑がある)に建設が決まり、完成をみないまま終戦となりました。

・つつじが崎霊園は、戦後陸軍省から大蔵省に移管され、昭和38年に甲府市に払い下げられました。以来、戦没者納骨堂の祭祀・維持管理は、関係者の協力を得ながら県が行っています。

・木造の納骨堂が老朽化するとともに、甲府市から移転の要望があったため、終戦30年記念事業として県が予算措置し、昭和50年11月着工、翌年3月、現在地(護国神社内)に完成しました。

 

 納骨堂の概要

・場所:山梨県護国神社内(甲府市岩窪町608)

・RC造平屋建 30.25㎡ ※敷地357㎡は借地

・納骨数 5,344柱

 

 納骨堂の維持管理

・清掃、定期巡回、植栽木管理(委託先:護国神社)

 

 戦争の悲惨さと平和の大切さを次の世代に(戦没者遺族による語り部)

1 語り部:眞壁 靜夫 様(韮崎市在住、昭和17年生まれ)

 『聞き伝えよう、若者に』 ~韮崎市遺族会の活動を通じて~

 

 

 

2 語り部:杉原 五十子 様(笛吹市在住、昭和18年生まれ)、山田 進作 様(笛吹市在住、昭和18年生まれ)

 『同じ星を見ていた父と母』 ~アメリカから戻ってきた父の日章旗~

 

平和の語り部事業

・一般社団法人山梨県遺族会は、一般社団法人日本遺族会とともに「平和の語り部事業」を実施しています。

・この事業は、地元の小中学校等からの依頼を受けて、遺族会の会員が、戦中・戦後の体験や過酷な生活状況を、後世に語り継ぐことを目的としています。

〇平和の語り部講座の様子(R6.7.30中央市在住の小学4年生~中学3年生)

平和の語り部遺族会会長

(講師:山梨県遺族会 事務局長 樋口様)

中央市遺族会会員

(講師:中央市遺族会 藤田美智子様)

県政出張講座のご案内(テーマ:戦争の悲惨さと平和の大切さ)

・県民の皆様が県政について知っていただく「県政出張講座」の新規テーマとして、「戦争の悲惨さと平和の大切さ」を設けました。

 ・希望する日のおおむね1ヶ月前までに「県政出張講座申込書」に必要事項を記入のうえ、郵便、ファクス、電子メールまたは持参して、県庁広聴広報グループ、もしくはお近くの地域県民センターへお申し込みください。

 ⇒ お申し込みはこちら

・テーマNo.89 「戦争の悲惨さと平和の大切さ」

 

○県政出張講座の様子(R4.9.2 市川三里町立市川小学校)

風景1

(講師:山梨県遺族会 事務局長 樋口様)

 風景2

 (講師:山梨県遺族会 鈴木俊子様)

  

甲府空襲、戦争遺跡等

甲府空襲

・太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)7月6日夜から7月7日にかけて、グアムのマリアナ基地から飛び立った131機のアメリカ軍B-29爆撃機による甲府への爆撃がありました。これを甲府空襲といいますが、7月6日23時47分~7日1時48分にかけて空襲がありました。

・甲府市内は火の海となり、市街地の約74%が焼き尽くされました。負傷者 は1,239名、被害戸数18,094戸でした。また1974年(昭和49年)7月に行われた調査では、死者は1,127名とされています。

  ⇒ 甲府市における戦災の状況(総務省ホームページへ)

 

戦争遺跡

山梨市の地下壕

・山梨県は第2次世界大戦末期に軍事施設や軍需工場の疎開地となり、多くの戦争に関連して造られた施設があり、現在知られているだけで50か所を越える戦争遺跡が残っています。山梨市の万力公園の北側にある小山の斜面に残る2か所の兵器貯蔵庫の地下壕もその一つです。

地下壕

 

 ⇒ リンク先(山梨県埋蔵文化財センター) 

 

戦地からのたより(一般財団法人山梨県遺族会 寄稿集より抜粋)

戦地からのたより

 ・「戦地からのたより」は、(一財)山梨県遺族会女性部が中心となり、戦後七十五年を記念して、戦没した父が家族に宛てた手紙を集めて編集したものです。女性部では「悲惨な戦争を二度と繰り返さず、私達のような戦争遺族が出ないように」との考えや、貴重な資料を後世に残したい、との想いから、遺族の了解をいただき「たより」を募集し出版することとなったものです。

・手紙のほとんどが軍事郵便と印刷された葉書で、内容は全て検閲を受け、上官の印鑑が押されています。葉書一面に小さな文字で家族への想いがびっしり書かれています。封書のものは全体の2割程度でした。

・「戦地からのたより」は県立図書館をはじめ、市町村の図書館へも寄贈されています。ご興味のある方は、冊子を手に取って御覧下さい。

 ⇒ リンク先はこちら

<冊子に関するお問い合わせ>

 一般財団法人山梨県遺族会 事務局 055-252-7664

 <このページに関するお問い合わせ>

 山梨県福祉保健部国保援護課 援護恩給担当 055-223-1454

 

戦争を知らない世代へ(一般財団法人山梨県遺族会 寄稿集より抜粋)

 過ぎし日に想いをよせて

平和の尊さをかみしめて

 

 

・「戦争を知らない世代へ」は一般財団法人山梨県遺族会及び同女性部が、戦没者の妻たちが戦後を生き抜いた体験を綴った「過ぎし日に想いをよせて」(H14.10発行)と、戦争遺児が父母への想いを綴った「平和の尊さをかみしめて」(H23.8発行)の2冊を再版し、合冊したものです。

 

・戦争を知らない世代が多数を占めるようになった今、悲惨な戦争が20世紀前半にあったことの証として、次世代へ語り継ぎ、世界の恒久平和の実現を図ることが遺族たちに課せられた使命である、との考え方からこの冊子を作成する事業が企画されました。

・「戦争を知らない世代へ」は、県立図書館をはじめ、市町村の図書館へも寄贈されています。ご興味のある方は、冊子を手に取って御覧下さい。

 

 ⇒ リンク先はこちら

 

 

 <冊子に関するお問い合わせ>

 一般財団法人山梨県遺族会 事務局 055-252-7664

<このページに関するお問い合わせ>

 山梨県福祉保健部国保援護課 援護恩給担当 055-223-1454

 

リンク集

 遺骨収集事業(厚生労働省へのリンク)

・厚生労働省が担う援護行政は、終戦に伴う引揚者対策に始まり、その後、戦傷病者及び戦没者遺族等の援護などの問題に対応しつつ、種々の変遷を経て、今もなお、戦争によって残された問題の解決に取り組んでいます。その一環として先の大戦による戦没者の遺骨収集事業を国の責務として実施しています。

  ⇒ リンク先へ

 

 子どもと学ぶ太平洋戦争(総務省へのリンク)

・太平洋戦争時の子ども達の生活や体験したことを、おじいちゃんやおばあちゃんが現代の子ども達に語りかける様子がイラストレーションで分かりやすく説明しています。

 ⇒ リンク先へ

 

 まんが子ども太平洋戦争物語(総務省へのリンク)

 ・痛ましい戦災の記憶、傷跡も歳月の経過とともに風化し、忘れられようとしています。子どもの視点から戦時下の一般の市民の生活の様子、空襲などの戦災の事実を現代の同じ年齢層に知っていただくため、総務省では平成19年度までは旧(社)日本戦災遺族会(H22.3.31解散)に委託し、平成20年度から22年度までは企画競争による委託事業として、冊子(まんが)を作成し、全国の小学校等に配布しました。
※まんがを配布する際には許諾が必要となりますので、注意して下さい。

 ⇒ リンク先へ 

 

戦災に関するビデオ(総務省へのリンク)

・空襲を受けた各都市にスポットをあて、戦災の事実を今日の人々に知っていただくため、総務省では、平成21年度までは旧(社)日本戦災遺族会(H22.3.31解散)に委託してビデオを作成し、全国の図書館及び視聴覚ライブラリー等に配布していました。平成22年度から平成25年度までは企画競争による委託事業としてビデオを作成し、ホームページ上で公開しています。

 ⇒ リンク先へ

 

 県内の追悼式(総務省へのリンク)

・山梨県立都留高等学校同窓会による「遺髪塚追悼法要」が掲載されています。

 ⇒ リンク先へ

 

 県内の追悼施設(総務省へのリンク)

・(甲府市)いしずえ地蔵尊

・(甲府市)戦災殉難者無縁佛供養碑

・(富士吉田市)武蔵航空工場被爆殉難者之碑

・(大月市)遺髪塚

 ⇒ リンク先へ

 

山梨県立博物館の展示案内「山梨と戦争」

・県立博物館において、山梨の人々が経験した戦争について、その実態や悲惨さを紹介するとともに、戦争という状況におかれた人々や、現在でも絶えることのない戦争について考える材料を提示しています。

  ⇒ リンク先へ

 

 

このページに関するお問い合わせ先

山梨県福祉保健部国保援護課 担当:援護恩給担当
住所:〒400-8501 甲府市丸の内1-6-1
電話番号:055(223)1454   ファクス番号:055(223)1468

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