トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.510県指定有形文化財 郷民擁護碑及び丸山之碑~恐れられた?古墳の祟り~
ページID:94363更新日:2021年2月12日
ここから本文です。
曽根丘陵公園の遺跡0028国指定史跡銚子塚古墳-保存修理事業1-0040国指定史跡銚子塚古墳-保存修理事業2-0045国指定史跡銚子塚古墳-保存修理事業3-0096国指定史跡銚子塚古墳-立柱-0103国指定史跡銚子塚古墳-木製品-0110国指定史跡銚子塚古墳-火きりんぼう-0159国指定史跡銚子塚古墳-木-0318国指定史跡銚子塚古墳-鼉龍鏡-0335国指定史跡銚子塚古墳-立柱2-0374国指定史跡銚子塚古墳-壺形埴輪-0407国指定史跡銚子塚古墳-突出部と周濠区画帯-0421国指定史跡銚子塚古墳-山梨県有形文化財木製祭祀具-0444国指定史跡銚子塚古墳附丸山塚古墳-古墳を違った側面で見てみよう-0474国指定史跡銚子塚古墳の鏡0391国指定史跡大丸山古墳-雪におおわれた前方後円墳-0477国指定史跡大丸山古墳-石枕-0126稲荷塚古墳-銀象眼大刀-0454稲荷塚古墳-銅椀-03334月の中道古墳群-0388かんかん塚古墳-県内最古の馬具-0067立石遺跡-山梨最古の旧石器-0211上の平遺跡-方形周溝墓群-0299上の平遺跡-地震の痕跡-0435上の平遺跡-縄文時代前期終わり頃の住居と土器-0097東山北遺跡-火打ち金-0192東山北遺跡-方形周構墓-0290東山北遺跡-ウマの歯と骨-0353東山北遺跡-鉄製品-0247東山南遺跡-把手付椀-0414鍋弦塚と『東山の碑』-0439考古博物館構内古墳の甲冑-
|
はじめに 平成31年2月25日、「郷民擁護碑」と「丸山之碑」が山梨県指定有形文化財(歴史資料)になりました。 というのも、この二つの石碑は、丸山塚古墳に関することが記されています。丸山塚古墳は4世紀後半から5世紀前半(いまから約1600年前)に造られた古墳時代の円墳で、高さ約11m、直径約72mを誇る全国的にも大きな円墳です。 写真1.【左から「史跡丸山塚古墳」(昭和27年)、「丸山之碑」(明治42年)、「郷民擁護碑」(天保11年)】
写真2.【丸山塚古墳】 写真3.【かつて丸山塚古墳の墳頂部に置かれていた石碑】 1.「郷民擁護碑」と「丸山之碑」の概要「郷民擁護碑」は、天保十一年(1840)、当時市川陣屋(代官)に勤めていた小林藤之助らによって建てられました。小林は丸山塚古墳を特別な場所と感じて当時の土地所有者であった浄照寺の住職に相談したところ、住職も賛同し、丸山塚古墳地域のみんなで大切にすることを進言して石碑が建てられ、古墳も村の所有物となりました。 写真4.【郷民擁護碑】 一方、「丸山之碑」が建立された経緯には、以下のような話があります。明治時代になると丸山塚古墳が個人所有の土地になり、明治40年(1907)当時の土地所有者であった松野伝四郎が古墳の頂上を桑畑にしようと耕していると、竪穴式石室が見つかり、その中から青銅鏡や鉄の刀・剣などが発掘されました。
写真5.【丸山之碑】 2.古墳にまつわる伝説や迷信古墳は、現在のような歴史的な見解が浸透するまでは「祟り」をはじめ、様々な「伝承」や「迷信」の舞台でありました。韮崎市火雨塚古墳(トピックス0453)にあるような「火雨塚伝承」もその一つです。 3.信仰の場であった古墳 古墳は、神社や祠などを古墳の上に建てたり、横穴式石室の中を信仰の場所として利用されたりもしていました。 写真6.【団栗塚古墳】 写真7.【表門神社古墳】 写真8.【かつて甲斐銚子塚古墳の上にあった伊勢講の祠(現在は公園内に移設されている)】 写真9.【姥塚古墳の石室で祀られている観音様】 4.時代によって変わる古墳の性格 このように、お墓という本来の意味が後の時代に忘れ去られてしまい、信仰の場所となったり、「祟り」など畏怖の存在になったりと時代によって古墳と人々の関わり方は変わります。 参考・引用文献
次の遺跡トピックスへ|遺跡トピックス一覧へ|一つ前の遺跡トピックスへ |