トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 遺跡トピックスNo.0476中溝遺跡出土の炭化物
ページID:83950更新日:2018年1月24日
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発掘調査では、熱をうけて炭になってしまった遺物(炭化物)が発見されます。炭化物はどこの遺跡でも発見できますが、その中に、小さな植物の種などがあることを知っていますか?
遺跡の位置 中溝遺跡は、都留市小形山大原の水田地帯にあります。昭和47年(1972)に大規模な圃場整備が実施され、都留市教育委員会によって行われた発掘調査で縄文時代中期中葉の集落跡が発見されました。この後、平成5年(1993)に山梨リニア実験線建設事業に伴い、山梨県教育委員会によって、再び発掘調査されることになります。この調査では、縄文時代早期末(約7,000年前)と平安時代(約1,100年前)の建物跡と遺物が発見されました。ここでは、発掘した土から水洗選別(すいせんせんべつ)という方法で、小さな炭化材を洗い出し観察しました。
所在地 山梨県都留市小形山大原地内 時 代 縄文時代早期末・平安時代 報告書 山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第115集 1996年 中溝遺跡・揚久保遺跡 調査機関 山梨県埋蔵文化財センター
参考 遺跡トピックスNo.0082中溝遺跡
炭化物の発見 写真2は、子供たちが遺跡を見学しているところですが、左下を見てください。黄色い線がマス目に張ってあることがわかりますか?これは、4号住所跡とした約7,000年前の建物の跡です。炭化物がたくさん土に混ざっていました。一つ拾ってみると、断面が黒く光る炭化した硬い殻の破片です。あまりにも、その破片が多かったので土を捨てずに洗ってみることにしました。これが、写真2の左下の部分です。その範囲は、長径約4.5m・短径約4mの楕円形で深さは約0.25mで、0.5m×0.5mのマス目状に水糸を張って区画した73カ所の土を全部採取しました。この土を5㎜・3㎜・1㎜メッシュの篩い(ふるい)に少しずつ入れ、写真3のように水につけながら洗い流すと、黒い小さな塊が篩いに残ります。これを拾って乾かす(乾かしてまとめたのが写真4)という気の遠くなるような作業を繰り返しました。2人の作業員さんが、1日3~4袋ほど洗って、炭化物を選別する作業は、1か月以上かかりました。
作業の結果 住居跡全体の土を洗った結果、建物の真ん中と北側から炭化物が集中していたことが分かりました。小区画の土を全部一緒に洗ってしまったので、平面的な分布しか分かっていませんが、その中から、何種類かの植物が発見できました。多かったのは木材ですがたくさんのクルミの殻が見つかりました。それ以外では、現在、人間はほとんど食べないミズキという植物の種(?)やノビルのような球根類です。他の住居跡からも発見されていることから、約7,000年前の中溝遺跡に住んだ人々は、このような植物を食べていた可能性があります。また、平安時代の土坑からは、球根類や桃の核・マメ類も確認されました。これらは、発掘調査中、肉眼で見つけることもありますが、80点の炭化植物を発見できたのは土を洗った成果です。一見、ただの炭化物に見えても、土を洗って観察すると、「マメみたいなもの」と曖昧だったものが、「ダイズかツルマメ」と種類までわかるようになります。この遺跡でおこなった作業は、炭化物を観察するいくつかある方法の一つです。この根気のいる作業によって、当時の食生活や植物の育つ環境、栽培の有無を考えるときに、欠かせない実物資料を提供できるようになるのです。今年度(H30.2.17~18)、当センターで開催する埋文シンポジウムでは、まさに、この努力が報われるテーマになっています。是非、いらしてください。 リンク:埋文シンポ「縄文時代の植物の利用・管理・栽培を考える」
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