ページID:126062更新日:2026年9月15日

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トピックスNo.554
境川窯跡群と毘沙門遺跡-山梨の須恵器作り-

【写真入る】

 古墳時代、山梨県の須恵器作りを語る上で、笛吹市の境川地域は外せません。

 写真は、笛吹市境川町の牛居沢(うしいざわ)窯跡調査の様子。実際に須恵器を焼いた窯の本体も見つかっています。

 

【写真入る】

 こちらは、笛吹市境川町石橋にある古墳時代から平安時代の集落跡、毘沙門(びしゃもん)遺跡から出土したものです。灰色でぐにゃぐにゃと曲がった塊。一体何だと思いますか?

 実はこれら、古墳時代の「須恵器」です。

 ――といっても、きれいな形をした完成品ではありません。窯の中で焼いている最中に「焼き歪み」や「焼き膨れ」を起こしてしまった、いわば失敗品です。

 

【写真入る】

 例えばこちらの大甕の破片(左が外側、右が内側)。

 よく見ると、表面には波のような模様や筋があります。これは土器を焼き上げる際の破裂を防ぐため、内側に当て具を当て、外側から板状の工具で叩いて粘土から空気を抜くためについた跡で、「タタキ目」と呼ばれています。

 ※大甕の模様の秘密はこちら→No.0539馬乗山2号墳-須恵器の中を覗いてみよう-

 この大甕は、パンのように膨らんでしまい、焼き上げる最中に歪んでしまったことが分かります。(発掘調査現場では、須恵器らしからぬ軽さと見た目から、みんなから「おせんべい」と呼ばれていました。)

 毘沙門遺跡から出土した、一見するとただの「失敗した土器」。視点を変えると、古墳時代の人々の境川地域での須恵器作りが見えてきます。

 

境川窯跡群と毘沙門遺跡

 山梨県内の古墳時代の須恵器生産に関わる遺跡は多くありません。ただし、山梨県でも須恵器の生産が一切なかった訳ではなく、韮崎市の御座田(みさだ)窯跡群をはじめ、いくつかの地域で須恵器の窯跡が見つかっています。

 そして、須恵器の失敗品が出土した毘沙門遺跡。この遺跡が立地する境川地域も、古くから、須恵器窯があったと伝わる場所がいくつか存在しています。それらの窯跡が笛吹市境川町の坊ケ峰(ぼうがみね)周辺の限られた地域に密集していたことから、まとめて「境川窯跡群(さかいがわようせきぐん)」と呼ばれています。

 実際に、調査によって窯跡が見つかった例もあり、境川地域において古墳時代に須恵器生産が行われていたことが明らかとなっています。

【写真入る】

※全国Q地図(MPI赤色立体地図)により作成

 黒丸が須恵器の窯跡があったと考えられている地点です。このうち、下向(しもむこう)窯跡と牛居沢(うしいざわ)窯跡では、実際に窯の痕跡が報告されています。

 境川窯跡群での窯跡推定地を見ると、いずれも丘陵のふもとや、山の裾斜面部分にあることが分かります。これは全国の須恵器窯跡にも共通する傾向で、窯を作るための斜面、製品を焼くための燃料、良質な粘土がとれる場所、等々、須恵器を焼くための様々な条件を満たす必要があったからだと考えられています。

 そして地図を見ると、毘沙門遺跡も境川窯跡群からほど近い、丘陵のふもと近くに作られた集落であることが分かります。

 冒頭で紹介した須恵器の失敗品たちですが、これらの土器は竪穴建物跡や、土器をまとめて捨てたとみられる場所から見つかりました。須恵器の失敗品は、窯近くの灰原(はいばら:窯から掻き出された灰や薪の燃え残り、焼く際に歪んだ須恵器が捨てられる場所)などから見つかることが多く、遠くの集落に出荷されることはあまりありません。

 境川地域には丘陵が多く、この地域には、まだ多くの窯が発見されずに眠っていると考えられています。毘沙門遺跡の集落ですが、もしかすると周辺には未発見の窯が眠っているのかもしれません。

 

毘沙門遺跡で見つかった須恵器の甑(こしき)

 ここでもう1点、毘沙門遺跡から見つかったユニークな遺物をご紹介します。

 

 

【写真】 【写真】

 こちらは、須恵器の甑(こしき:写真右)。山梨県内での出土は珍しく、竪穴建物のカマドの脇から須恵器の埦(わん:写真左)と一緒に見つかりました。

 甑とは蒸し器のことで、こういった腕状の取手をもつ甑は、須恵器と同じく朝鮮半島から伝わりました。甑自体は古墳時代の集落から多く出土するものの、そのほとんどは土師器の甑。須恵器は熱に弱いことから、一般的な集落で炊飯具に用いられることはほとんどありません。

 ※甑についての関連トピックスはこちら!→遺跡トピックスNo.0173二之宮遺跡

 一方、全国的に見ると、須恵器の生産地をはじめ、古墳時代に日本に新たな技術を持ち込んだ「渡来人(とらいじん)」に関係する遺跡からは、須恵器の甑が出土することがあります。須恵器の甑は、朝鮮半島にみられる甑の特徴を色濃く残したり、朝鮮半島の甑と連動して変化することから、朝鮮半島との継続的な関わりや影響を示す遺物の一つとされています。

 毘沙門遺跡の須恵器の甑ですが、よく見ると、真ん中にぐるりと線がめぐっています。これも朝鮮半島の甑によく見られる特徴で、日本に定着した土師器の甑には見られません。この甑は、毘沙門遺跡に渡来人に関わるコミュニティと繋がりを持った人が暮らしていた可能性を示すものであり、非常に重要な発見といえます。

 古墳時代、須恵器の大規模な生産が行われていた大阪府の泉北丘陵周辺や北部九州では、窯跡の周辺から、倉庫・選別場と考えられる建物跡や、須恵器生産を行っていた人々の集落が見つかっています。

須恵器作りは、土器を焼くための窯だけでは成立しません。朝鮮半島から伝わった技術と、それを担う人々の存在があって初めて成り立ちます。全国の須恵器生産地の事例をみると、境川地域においても生産を担った人々の集落が周辺に存在していたのかもしれません。

 毘沙門遺跡から見つかった須恵器の甑、そして冒頭で紹介した須恵器の失敗品。これらは、境川窯跡群を単なる窯の集まりではなく、須恵器生産に関わった人々の痕跡を含めた広い視野で捉える上で、貴重な成果となりました。

 

主要参考文献

境川村役場 1978『境川村誌』

白石耕治2024『古墳時代須恵器生産史の研究』雄山閣

橋本博文 1979「甲斐における須恵器生産」『丘陵』甲斐丘陵考古学研究会会報6

山梨県埋蔵文化財センター1990『山梨県生産遺跡分布調査報告書』山梨県埋蔵文化財センター調査報告第51集

 

遺跡名:毘沙門遺跡(びしゃもんいせき)

所在地:笛吹市境川町石橋

時代:

調査主体:山梨県埋蔵文化財センター

報告書:刊行予定

 

 

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