トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 遺跡トピックスNO.0518「国指定史跡甲府城-築城期の瓦①「丸瓦」-」
ページID:96350更新日:2020年10月9日
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甲府城の歴史のおさらい甲斐国は、天正10(1582)年に武田氏が滅びると、甲斐は織田信長の領国となりましたが、本能寺の変後は徳川家康の支配下となり、平岩親吉が城代になりました。その後、豊臣秀吉が天下統一を果たすと、徳川家康は関東に移され、甲斐は秀吉の甥にあたる羽柴秀勝が支配することになりました。秀勝の移封後は、加藤光泰が、光泰が文禄の役で没すると浅野長政・幸長の支配となりました。ここまではいいかな・・・? 築城期の瓦うちの業界でいう瓦というと、重い、汚い、かさばるという悪の代名詞のように揶揄されるほど評判の悪い出土品なんですね。そんな瓦もよく観察していくと、作り方の技法から制作された時代的差が見えてきます。 織豊期のお城の瓦は、初期のころは本瓦葺き(丸瓦と平瓦を組み合わせて葺く)でありまして、従来役所やお寺で使われていたこともあり、守護館たる城郭には用いられておりませんでしたが、あの織田信長は足利時代を彷彿させる旧態のイメージを払拭させるべくお城に瓦を用いたのが有名な安土城です。とはいえ、いきなり瓦を作れと言われても技術がありませんので、そこで動員されたのが官窯を司る奈良衆(南都系瓦工人集団)です。この人たちが関わった瓦には特徴があります。関わった職人の刻印をつけています。これは後世の職人もやっているのですが、安土に関わった職人の刻印と同様のものがあるということです。山梨の瓦職人はどうなったかというと平安時代を境に土器づくりに専念してしまっているようで、おそらく技術的には断絶傾向にあったと思います。地元の職人とともに奈良衆の関与が甲府城にもうかがえます。 技法では、粘土の塊を切り出して板にする段階(コビキ)がありますが、切り方の初期段階では紐で切った痕がありますが、紐の場合、土器の糸切痕と同様にたわんだ痕が残ります。少し技術が進むと、紐では切れちゃうので鉄線で切ったといわれおり、切断痕が直線的になっているのが特徴です。甲府城からは両方の技法のものが丸瓦にみられます。また、型から抜き取りやすくするための太めの吊紐(縄)の痕も特徴的です。
刻印
コビキ痕 吊紐圧痕 図1 丸瓦模式図 瓦を葺いた様子(さてここはどこのお城でしょう?) 軒丸瓦 軒先にくる丸瓦を軒丸瓦といい、その後ろに並ぶ瓦当のないものを丸瓦といいます。 左三巴紋1類A(珠文が小振りで須恵質(安土に似た雰囲気)連珠13個、小さめ、金箔瓦あり)
右三巴紋2類B(珠紋がやや大型化、1類に比べ凹凸が弱い、燻しが多い、連珠13個、2類の変形タイプを4類としている) 右三巴紋3類(2類にくらべ凹凸が弱い、版木の木目が目立つ、燻しが多い、2類の版木痩せか?) 違鷹羽紋5類(5.3寸内外に統一規格。生成と組成に分かれる、金箔瓦あり、家紋瓦は特注品) その特徴 版型と粘土を外すために使われるキラ粉が使われず、粘土粉や離れ砂の使用の痕跡が確認できます。全体的に調整が甘く、やや粗雑な作りとなっています。青瓦(須恵質)と赤瓦(土師質)が認められ、赤瓦には「いぶし」が施されるのが特徴です。瓦当面の径はおよそ五寸(15センチ)規格でほぼ統一されています。巴の表現がふっくらしておらず、扁平であることも大きな特徴です。
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